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メモ

僕は人と親しくなりすぎると、色んな事を求めてしまう。
どこで染み付いたのか誰にも嫌われたくないという意識が底の方にいっつもあって、だからあまり親しくない人には自分をどう思っているか不安で優しくする。
その優しさが全部嘘ではないと思うけど、少なくとも素の自分を隠していることは確かで、それは人間関係を保つのに必要なことと思う。
でもどうしても作っていない自分の事を好きになってほしいという思いがあって、そういう時に大概人を傷つける。
それで自分の本質的な部分は何の価値も無いようで寂しくなる。
嫌われたくないから優しい自分を作って、そのまま一生を終えると考えると何だか絶望的な気分になる。

自分を形作っていったのは過去の周りの環境が大きく関わっていて、だから人により素の自分をどこまで隠さないといけないかは違う。みんなが大なり小なり隠しながら生活してる。

僕はそれぞれが隠しながら生きてることを受け入れたい。
誰かに対して持っているイメージが作られているもので、本当は全く違う醜い部分を持っているとしても、受け入れたい。
隠すことは悪いことではない。隠し続ければいい。けど隠すことに疲れた時、それを許してあげられる心を持っていたい。
醜い部分を出していいというわけではない。人を傷つけるならば、それは隠して生きていくべきだと思う。
でもそれぞれに醜い部分があると、それを許すことで相手は楽になるのではないだろうか。
少なくとも僕がそうであるから。

Mr.Childrenのファスナーという曲がある。解釈はそれぞれだけど、後半部分に共感する部分がある。

by santos0113 | 2010-06-21 14:47 | diary
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