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地域の文化財

地域の文化財―21世紀の思索

九州大学出版会

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地域文化財とはその地方のその地域の町や村の生活空間を構成し、それを魅力あるもの、活力ある生き生きとしたものとするために装置されたものをさします。鎮守の森、寺院の庭、野辺の石仏など、あるいは春や秋の祭り、盆や暮れ、新年の年中行事など一切がっさい、地域文化財として注目します。

地域文化財ではない、国や地方自治体によって、価値あるものと認められ、指定された文化財を指定文化財というのに対し、注目されていないけれどその地域独自の味を出しているものを地域文化財と呼んでいる。
一般に、地域文化財は軽視され、指定文化財のみを保存すべき文化財だとみなす傾向がある。
しかし、指定文化財は指定文化財である前に地域文化財であるということを確認することが必要だとしている。
宇治の平等院は、宇治側沿いの良好な環境におかれているわけですが、もし宇治川両岸になんの規制もなく、地域開発が安易な形ですすむとしたならば、宇治の平等院とその環境はまったく損なわれてしまうと思うのです。そういう意味で指定文化財としての宇治の平等院は、また宇治にとってかけがえのない地域文化財としての価値をもう一度確認することによって、初めてその良好な環境を維持していくことが出来るのだと思うのです。


「物的経済」「局地材的経済」という言葉がある。
そして「地域文化財が、局地材の性格を持っているという。
「物的経済」は技術の進歩、労働の生産性の上昇によって、一人当たりの供給量をふやしうるような通常の財についての分野です。
「局地材的経済」は景勝地など場所的にユニークな限定性があって、同じ形では簡単に増やすことは出来ず、したがって代替物を提供することが困難な「局地財」をとりあつかう分野をいうとしています。

例えば尾瀬の湿地とか桂離宮をいう。

地域文化財は周知でもなければ、顕在化していない場合が多い。過去では、地域文化財の局地財としての性格を過去において積極的に強めようとしていた。しかし現在では、各地の地域文化財がその大きい波の中で無視されたり忘れられたりしているのではないか、あるいは潜在化させていく風潮を生んでいるのではないか。
それぞれの地域がそれぞれの地域としての特色をそなえ、地域に特色のある自然の生態だとかあるいは文化的な環境という潜在化してしまったものを、今一度、局地財としてユニークな、他の地域には見られない地域文化財として再評価するという作業をする必要があるのではないかと思います。・・・それこそがそこに住んでいる人の一つの生きがい、そこに住むことを誇りにするような重要な契機となっているのではないでしょうか。


地域文化財の性格を明らかにするために、「限定芸術」についてみていく。
限定芸術は鶴見俊輔がとなえた概念である。
それによると芸術は「純粋芸術」「大衆芸術」「限定芸術」に分けられるという。
「純粋芸術」はいわゆる「芸術」で、それぞれの専門種目の作品の系列にたいして親しみを持つ専門的享受者をもっている。
「大衆芸術」はポピュラーなアートであり、非芸術的とかんがえられている。大衆芸術を教授するのは一般の大衆である。専門の芸術家によって作られはするが、企業家と専門的芸術化との合作の形をとる。
「限定芸術」は非専門的な芸術家によって作られ非専門的な享受者によって享受される。
そして限定芸術が成長の過程で最初に享受する芸術は限定芸術であるとしている。

都市の歴史と芸術がどう関連するのか。
ラスコーの壁画のようなものをえがいた描き手は明らかに非専門的な芸術家、そしてそれを見て感動を覚えた人、共感した人もおそらく非専門的な享受者である。その意味において、芸術の資源は限定芸術であるといえる。ところが都市が生まれる段階になると、それはエジプトにしてもメソポタミアにしても中国にしても、そういう段階で生まれてくるのは、すでに専門的な芸術家であった。都市の始原と純粋芸術の始原というのはかなり結びついている。

純粋芸術というのは、いつの時代でも限定芸術によって活力を得てきたという。
まず、地域文化財としての芸術が生まれ、そだち、やがて純粋芸術を刺激しそのなかに組み込まれていくのだと思うのです。まず、地域文化財としての芸術、それは地域の人々の間から生まれ、地域の人々によって鑑賞されてきた限定芸術なのです。

純粋芸術は、かつて限定芸術であり、そこにある地域性こそが芸術を活力有らしめるものとして貴重だとしている。

そして地域文化財は限定芸術の側面を持っている。

次に町家とその町並みについてみてみましょう。それは町大工と町人たちが知恵をだしあってうみだし自分達の町のデザインをどうすべきかということをかんがえて作られたものといえましょう。その地域と深く結びついた町大工と町人たちが、知恵を出し合い協力して作ったのが町家であり町並みなのです。限定芸術の特色をそなえ、、その地域に固有な地域文化財を形作ったのです。言いかえるならば、限定芸術の側面を地域文化財は持っているのです。そして指定文化財は純粋芸術の側面の方が強いのです。そして地域文化財の限定芸術的側面が、純粋芸術を刺激し、芸術の歴史は展開してきたと言えるのではないでしょうか。都市という生活空間も、地域文化財のもつ限界芸術的性格によって活性化されてきたといえるのではないでしょうか。



次に、地域の生活空間にはたす地域文化財の役割について。
地域文化財をなぜ大切にする必要があるのか、その効用。
①地域の個性を示している
それはその地域に生きていることによって、その地域に座を占めていることによって、価値がある。
②地域の連帯感をつよめ、失われた連帯感を回復するのに役立つ
京都では伝統的な町並みのならぶ地区では、今も、昔ながらの地蔵盆がもよおされ、町の人々をいったいかさせている。
地域文化財には世代をこえた交流、過去と現在、未来をつなぐものがあった。しかし現在、私達はそれを見失っている。

従来、都市計画とか建築を専門家に委ねすぎたことに、わたしは町がおもしろくなくなった原因の一つがあるように思うし、建築家の側から言えば、その地域の個性を無視したところに、その努力と力量を十分に生かせなかった面もあると思うのです。



問題なのは新しい建築が各地の伝統的なものを根こそぎ奪い去り、単調なありふれたもので置き換えるところに現在の危機があるのではないでしょうか。








良く日本の町並みをヨーロッパと比べて汚いという。確かに綺麗だとはいえないけれど、ヨーロッパにはヨーロッパの、日本には日本の事情があり、歴史がある。模倣すればいいような問題ではない。
それに僕は日本の町並みは嫌いじゃない。同じような見かけの町は増えている。でも良く歩いて見てみれば、面白いと思える、地域文化財的な要素を感じる場所がある。
そういう場所に注目されていなかったのが今までであって、今は多少なりとも注目はされているんだろう、本も出されているぐらいだし。
専門的な人たちが一方的に作る時代は終わり、非専門的な人が参加する時代になったんだろう。
だからやるべきことは、専門的な立場からすれば非専門的な人々の先導であり、非専門的な立場からすれば、自分達で作るという意思を持つことだろうと思う。
そして具体的な町並みというのは何かの模倣ではなくて、知恵を出し合って作られたものでなくてはならない。そこから独自性が生まれる。
by santos0113 | 2010-04-23 22:41 | book
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