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地域の文化財

地域の文化財―21世紀の思索

九州大学出版会

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地域文化財とはその地方のその地域の町や村の生活空間を構成し、それを魅力あるもの、活力ある生き生きとしたものとするために装置されたものをさします。鎮守の森、寺院の庭、野辺の石仏など、あるいは春や秋の祭り、盆や暮れ、新年の年中行事など一切がっさい、地域文化財として注目します。

地域文化財ではない、国や地方自治体によって、価値あるものと認められ、指定された文化財を指定文化財というのに対し、注目されていないけれどその地域独自の味を出しているものを地域文化財と呼んでいる。
一般に、地域文化財は軽視され、指定文化財のみを保存すべき文化財だとみなす傾向がある。
しかし、指定文化財は指定文化財である前に地域文化財であるということを確認することが必要だとしている。
宇治の平等院は、宇治側沿いの良好な環境におかれているわけですが、もし宇治川両岸になんの規制もなく、地域開発が安易な形ですすむとしたならば、宇治の平等院とその環境はまったく損なわれてしまうと思うのです。そういう意味で指定文化財としての宇治の平等院は、また宇治にとってかけがえのない地域文化財としての価値をもう一度確認することによって、初めてその良好な環境を維持していくことが出来るのだと思うのです。


「物的経済」「局地材的経済」という言葉がある。
そして「地域文化財が、局地材の性格を持っているという。
「物的経済」は技術の進歩、労働の生産性の上昇によって、一人当たりの供給量をふやしうるような通常の財についての分野です。
「局地材的経済」は景勝地など場所的にユニークな限定性があって、同じ形では簡単に増やすことは出来ず、したがって代替物を提供することが困難な「局地財」をとりあつかう分野をいうとしています。

例えば尾瀬の湿地とか桂離宮をいう。

地域文化財は周知でもなければ、顕在化していない場合が多い。過去では、地域文化財の局地財としての性格を過去において積極的に強めようとしていた。しかし現在では、各地の地域文化財がその大きい波の中で無視されたり忘れられたりしているのではないか、あるいは潜在化させていく風潮を生んでいるのではないか。
それぞれの地域がそれぞれの地域としての特色をそなえ、地域に特色のある自然の生態だとかあるいは文化的な環境という潜在化してしまったものを、今一度、局地財としてユニークな、他の地域には見られない地域文化財として再評価するという作業をする必要があるのではないかと思います。・・・それこそがそこに住んでいる人の一つの生きがい、そこに住むことを誇りにするような重要な契機となっているのではないでしょうか。


地域文化財の性格を明らかにするために、「限定芸術」についてみていく。
限定芸術は鶴見俊輔がとなえた概念である。
それによると芸術は「純粋芸術」「大衆芸術」「限定芸術」に分けられるという。
「純粋芸術」はいわゆる「芸術」で、それぞれの専門種目の作品の系列にたいして親しみを持つ専門的享受者をもっている。
「大衆芸術」はポピュラーなアートであり、非芸術的とかんがえられている。大衆芸術を教授するのは一般の大衆である。専門の芸術家によって作られはするが、企業家と専門的芸術化との合作の形をとる。
「限定芸術」は非専門的な芸術家によって作られ非専門的な享受者によって享受される。
そして限定芸術が成長の過程で最初に享受する芸術は限定芸術であるとしている。

都市の歴史と芸術がどう関連するのか。
ラスコーの壁画のようなものをえがいた描き手は明らかに非専門的な芸術家、そしてそれを見て感動を覚えた人、共感した人もおそらく非専門的な享受者である。その意味において、芸術の資源は限定芸術であるといえる。ところが都市が生まれる段階になると、それはエジプトにしてもメソポタミアにしても中国にしても、そういう段階で生まれてくるのは、すでに専門的な芸術家であった。都市の始原と純粋芸術の始原というのはかなり結びついている。

純粋芸術というのは、いつの時代でも限定芸術によって活力を得てきたという。
まず、地域文化財としての芸術が生まれ、そだち、やがて純粋芸術を刺激しそのなかに組み込まれていくのだと思うのです。まず、地域文化財としての芸術、それは地域の人々の間から生まれ、地域の人々によって鑑賞されてきた限定芸術なのです。

純粋芸術は、かつて限定芸術であり、そこにある地域性こそが芸術を活力有らしめるものとして貴重だとしている。

そして地域文化財は限定芸術の側面を持っている。

次に町家とその町並みについてみてみましょう。それは町大工と町人たちが知恵をだしあってうみだし自分達の町のデザインをどうすべきかということをかんがえて作られたものといえましょう。その地域と深く結びついた町大工と町人たちが、知恵を出し合い協力して作ったのが町家であり町並みなのです。限定芸術の特色をそなえ、、その地域に固有な地域文化財を形作ったのです。言いかえるならば、限定芸術の側面を地域文化財は持っているのです。そして指定文化財は純粋芸術の側面の方が強いのです。そして地域文化財の限定芸術的側面が、純粋芸術を刺激し、芸術の歴史は展開してきたと言えるのではないでしょうか。都市という生活空間も、地域文化財のもつ限界芸術的性格によって活性化されてきたといえるのではないでしょうか。



次に、地域の生活空間にはたす地域文化財の役割について。
地域文化財をなぜ大切にする必要があるのか、その効用。
①地域の個性を示している
それはその地域に生きていることによって、その地域に座を占めていることによって、価値がある。
②地域の連帯感をつよめ、失われた連帯感を回復するのに役立つ
京都では伝統的な町並みのならぶ地区では、今も、昔ながらの地蔵盆がもよおされ、町の人々をいったいかさせている。
地域文化財には世代をこえた交流、過去と現在、未来をつなぐものがあった。しかし現在、私達はそれを見失っている。

従来、都市計画とか建築を専門家に委ねすぎたことに、わたしは町がおもしろくなくなった原因の一つがあるように思うし、建築家の側から言えば、その地域の個性を無視したところに、その努力と力量を十分に生かせなかった面もあると思うのです。



問題なのは新しい建築が各地の伝統的なものを根こそぎ奪い去り、単調なありふれたもので置き換えるところに現在の危機があるのではないでしょうか。








良く日本の町並みをヨーロッパと比べて汚いという。確かに綺麗だとはいえないけれど、ヨーロッパにはヨーロッパの、日本には日本の事情があり、歴史がある。模倣すればいいような問題ではない。
それに僕は日本の町並みは嫌いじゃない。同じような見かけの町は増えている。でも良く歩いて見てみれば、面白いと思える、地域文化財的な要素を感じる場所がある。
そういう場所に注目されていなかったのが今までであって、今は多少なりとも注目はされているんだろう、本も出されているぐらいだし。
専門的な人たちが一方的に作る時代は終わり、非専門的な人が参加する時代になったんだろう。
だからやるべきことは、専門的な立場からすれば非専門的な人々の先導であり、非専門的な立場からすれば、自分達で作るという意思を持つことだろうと思う。
そして具体的な町並みというのは何かの模倣ではなくて、知恵を出し合って作られたものでなくてはならない。そこから独自性が生まれる。
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by santos0113 | 2010-04-23 22:41 | book

文化的景観

松戸の新居に引っ越しました。友達とのシェアです。
部屋のインテリアとか考えてぬふぬふしちゃうけど金がないので実現には至りませぬorz
とりあえずミニコンポだけはケチらずにいずれ買いたいので、節約生活をする。
家計簿つけよう。これまで3回ほどチャレンジして一瞬で挫折してきた家計簿だけど
最近は筋トレにジョギングに続いてるのでちょっと期待。ってかやろう。

大学が徒歩5分の場所になったので好きな時に図書館に行けるようになったのが最高。
でも今まで延滞しすぎてもう借りることが出来ないので、持ち出しはできないのは最悪。馬鹿俺。

もう4年。卒論のテーマ決めで悩んでます。

「景観」という言葉。景観法という法律があるにもかかわらず定義はされていない変な言葉。
今まで景観は「美しさ」を基準に評価されていた。
大正8年の史跡名勝天然記念物保存法から平成16年の景観法に至るまで、それは一貫している。
そこに文化的景観という言葉が出てくる。

文化的景観とは
地域における人々の生活または生業および当該地域の風土により形成された景観地で、わが国民の生活または生業の理解のために欠くことが出来ないもの。

つまりは、棚田であったり、京都宇治のようなものをいう。
文化的景観と、例えば法隆寺のような文化財とはどう違うのか。
法隆寺という、すでに出来ているもの、変わらないものについては、それを維持することは可能だ。
しかし文化的景観は、活動があって初めて成立、持続している景観だ。
法隆寺は、変わらないある固定のものを維持していけば良いのに対し、
文化的景観が守るべきものは、その活動だというところに大きな違いがある。
文化的景観は生きている景観であり、人の活動によって成り立っている以上変化するのが自然な景観なのである。文化的景観は美しくある必要はない。

文化的景観は変化するもの。でも、その変化にも許容範囲がある。
例えば宇治に高層ビルが林立してしまえば、それは破壊だと言えるのではないか。
じゃあ何が変化の許容範囲内で、また範囲外なのだろうか。

それは
生命体としての自己組織化の原理
に基づいているかどうかではないか。
つまり他に頼ることなく、それ自身のみで存在することが出来るかどうかだ。
文化的景観は生き物であり、自己組織化する。
また人間が、私が私であることを保持できるのは、自分の過去の記憶が不可欠である。
文化的景観の保護と言うとき、それは
「自己組織化」と「自己同一性」
の保護と言えるのではないだろうか。

文化的景観のような生きている景観に対し、ロボットのような景観が増えている。
文化的景観自体も、人手不足だったりして存続の危機に陥っているところを見ると、ちゃんと生きているとはいい難い。

生きている景観を保全、つくり出すためにはどうすればいいだろうか。

表出されたものから、表出するものへ。

オギュスタンベルクの文章にもあった気がする。
「見る」風景から、「参加する」風景に変わっていく必要がある。
景観がいろんな層から成り立っているということを、それぞれが理解しなければならない。
オギュスタンベルク「日本の風景・西欧の景観―そして造景の時代」より
すなわち新しい風景は、西欧で近代の風景の危機から生まれたポスト二元論と、世界が知るようになったもう一つの大きな風景の伝統つまり東アジアの伝統において前提とされる非二元論、この両者の総合から形をとることになるだろうということである。…この新しい風景を『造景』と呼ぼう。
造景の時代への移行は必ずしも風景美の時代への移行を意味しない。けれども…環境をイメージとして生きることは、必然的に美的な配慮を、すなわち美を創りだそうとする真摯な欲求を伴う。




僕が今までうまく言葉にできなかった綺麗な景観というのは、つまり生きている景観だったかもしれない、と思う。
パーマカルチャーとも関連するんじゃないか。
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by santos0113 | 2010-04-02 21:14 | diary

東洋の理想

卒論はあくまでランドスケープの研究。
社会問題の研究ではない。
「何か注目されない仕事」ではなく
「何か注目されない仕事があることでランドスケープ上問題になっている事例を探す。」
いやどちらかといえば
「ランドスケープの問題を解決するために、注目されない仕事に焦点をあてる。」

不安定になっている。焦ってる。集中できない。
本の内容が全く頭に入って来ない。
昨日大学の友人と会った。ひどい態度をとった。
誤解を招かないような口が欲しい。

東洋の理想 (講談社学術文庫)

岡倉 天心 / 講談社

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岡倉天心の書いた本。
もう一度必ず読み返そう。全然頭に入らなかった。
日本はアジア文明の博物館となっている。なんとなればこの民族のふしぎな天性は、この民族をして、古いものを失うことなしに新しいものを歓迎する生ける不二元論の精神をもって。過去の諸理想のすべての面に意を留めさせているからである。

日本は古くから様々な文化を吸収して、それを自分たちなりの文化にしてきた。
受けた影響を、どんなに巨大でもこれを受容して改めて応用するための豊かな活力があった。
明治時代に大量の文化が流入しても、国民がバラバラになることがなかったのは日本の粘着性によるものだ。日本の奥底にはアジア文明が詰まっていて、そこから大きく離れることは無い。
日本人にこそ出来ることが確実にある。そして日本を正しく理解するためには、日本文化のみならず、その根底となるアジアの文化も知る必要があるだろう。
日本人であることを誇りに思いたい。僕は中高生の時日本が嫌いだったし、現代の多くの子供たちも同じじゃないだろうか。
正しく日本を知りたい。
モノの豊かさ=心の豊かさではないとだんだんみんなが分かってきている今、かならず日本の文化が見直される時が来る。気がする。
六世紀に仏教がこの国に渡来する以前、原始日本の芸術全般の上に及んだ大陸の影響の最初の波は、中国の漢および六朝のそれであった。…その芸術の概念は、大まかに孔子的(儒教的)と呼んでよいであろう。

儒教的中国がインドの理想主義を受け入れることは、もし老荘思想と道教とが、周朝の末以来、これらアジア思想の相互に対立する両極の共同の展開の為の心理的基礎を準備していなかったならば、けっして行われることのできなかったことであろう。


僕が感じることや、その行いには古くからの文化の大きな流れがある事を知らなければならない。
自分一人でどうにかなったことではなく、その根底に文化がある。
そしてその文化を知ることは、現代における日本の皆を知ろうとする姿勢ではないかと思う。



落ち着いた。
僕は間違っていない。そして友人も先生も誰も間違っていない。
理解などされなくても、僕は理解されようと、しようとする姿勢を諦めてはいけない。
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by santos0113 | 2010-03-24 18:15 | book

茶の本

茶の本 (岩波文庫)

岡倉 覚三 / 岩波書店

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岡倉天心が1906年に出した、僅か90ページほどの薄い本。
岡倉天心、、すごい。
読み始めてわずか6ページで僕は胸に熱いものがこみ上げるのを抑えられない。
岡倉天心が述べていることは、つまりはフロムの「愛するということ」と共通する部分はないか。
お互いを完全に理解することなんて不可能だ。それでも、認め合うことはできる。お互いの短所長所を補い合うことはできる。
日本という国が積み重ねてきた文化のレベルの高さに、そしてそれが崩れている現代を思い知る。
それにしても今から100年以上も経っているというのに、内容の色あせなさに驚く。
100年の間に僕らが行ってきたことは、結局のところ何も変わりなどしなかったのだろうか。
あるいは、ますます良いとは言えない方向に向かっているのだろうか。

第一章
茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能な物を成就しようとするやさしい企てであるから。

煎ずるところ人間享楽の茶碗は、いかにも狭いものではないか、いかにも早く涙であふれるではないか、無辺を求むる渇のとまらぬあまり、一息に飲みほされるではないか。

おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見逃しがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例にすぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮人とみなしていたものである。しかるに満州の洗浄に大々的殺戮を行い始めてから文明国と呼んでいる。…もしわれわれが文明国たる為には、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。

アジアの青年は現代的教育を受けるために、西洋の大学に群がってゆく。われわれの洞察力は、諸君の文化に深く入り込むことはできない。しかし少なくともわれわれは喜んで学ぼうとしている。

諸君はわれわれを「あまり茶気があり過ぎる」と笑うかもしれないが、われわれはまた西洋の諸君には天性「茶気がない」と思うかもしれないではないか。
東西両大陸が互いに奇警な批評を飛ばすことはやめにして、東西互いに得る利益によって、よし物がわかって来ないとしても、お互いにやわらかい気持ちになろうではないか。お互いに違った方面に向かって発展して来ているが、しかし互いに長短相補わない道理はない。諸君は心の落ち着きを失ってまで膨張発展を遂げた。われわれは侵略に対しては弱い調和を創造した。諸君は信ずることができますか、東洋はある点で西洋にまさっているということを!

現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、世俗の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利の為に行われている。東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜のごとく、人生の宝玉を得ようとすれどそのかいもない。
…まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しいとりとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。


第二章
茶室の調子を破る一点の色もなく、物のリズムをそこなうそよとの音もなく、調和を乱す一指の動きもなく、四囲の統一を破る一言も発せず、全ての行動を単純に自然に行う―こういうのがすなわち茶の湯の目的であった。そしていかにも不思議な事には、それがしばしば成功したのであった。そのすべての背後には微妙な哲理が潜んでいた。茶道は道教の仮りの姿であった。


第三章 道教と禅道
茶の湯は禅の儀式の発達したものであるということはすでに述べたところであるが、道教の始祖老子の名もまた茶の沿革と密接な関係がある。…道教と禅道とに対する興味は、主としていわゆる茶道として実際に現れている、人生と芸術に関するそれらの思想に存するのである。

「道」は「径路」というよりもむしろ通路にある。宇宙変遷の精神、すなわち新しい形を生み出そうとして絶えずめぐり来る永遠の成長である。…「道」は大推移とも言うことが出来よう。主観的に言えば宇宙の気であって、その絶対は相対的なものである。

「一定」「不変」は単に成長停止を表す言葉に過ぎない。屈原いわく「聖人はよく世とともに推移す。」われらの道徳的規範は社会の過去の必要から生まれたものであるが、社会は依然として旧態にとどまるべきものであろうか。

われわれは恐ろしく自己意識が強いから不道徳を行う。おのれ自身が悪いと知っているから人を決して許さない。他人に真実を語ることを恐れているから良心をはぐくみ、おのれに真実を語るを恐れてうぬぼれを避難所にする。世の中そのものがばかばかしいのにだれがよくまじめでいられよう!といい、物々交換の精神は至る所に現れている。…男も女も何ゆえにかほど自己を公告したいのか。奴隷制度の昔に起源する一種の本能に過ぎないのではないか。

道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった。…道教は浮世をこんなものだとあきらめて、儒教徒や仏教徒とは異なって、この憂き世の中にも美を見出そうと努めている。

もしだれもかれも皆が統一を保つようにするならば、人生の喜劇はなおいっそうおもしろくすることができると。もののつりあいを保って、おのれの地歩を失わず他人に譲ることが浮世芝居の成功の秘訣である。われわれはおのれの役を立派に勤めるためには、その芝居全体を知っていなければならぬ。個人を考えるために全体を考えることを忘れてはならない。

芸術においても同一原理の重要なことが暗示の価値によって分かる。何物かを表さずにおくところに、見る物はその考えを完成する機会を与えられる。かようにして大傑作は人の心を強く引き付けてついには人が実際にその作品の一部分となるように思われる

禅の主張によれば、事物の大相対性からみれば大と小との区別はなく、一原子の中にも大宇宙と等しい可能性がある。極致を求めんとするものはおのれみずからの生活の中に霊光の反映を発見しなければならぬ。…茶道いっさいの理想は、人生の些事の中にでも偉大を与えるというこの禅の考えから出たものである。道教は審美的理想の基礎を与え禅はこれを実際的な物とした。


第四章 茶室
茶室はある個人的趣味に適するように建てらるべきだということは、芸術におけるもっとも重要な原理を実行することである。芸術が充分に味わわれるためにはその同時代の生活に合っていなければならぬ。それは後世の要求を無視せよというのではなくて、現在をなおいっそう楽しむことを努むべきだというのである。また過去の創作物を無視せよというのではなくて、それをわれらの自覚の中に同化せよというのである。伝統や形式に屈従することは、建築に個性の現れるのを妨げるものである。

「数寄屋」はわが装飾法の他の方面を連想させる。日本の美術品が均整を欠いていることは西洋批評家のしばしば述べたところである。…真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見いだされる。人生と芸術の力強いところはその発達の可能性に存した

第五章 芸術鑑賞
美術鑑賞に必要な同情ある心の交通は、互譲の精神によらなければならない。美術家は通信を伝える道を心得ていなければならないように、観覧車は通信を受けるに適当な態度を養わなければならない…名人にはいつでもごちそうの用意があるが、われわれはただみずから味わう力がないために飢えている。

われわれの限定せられた性質、代々相伝の本賞はもちろんのこと、慣例、因襲の力は美術観賞力の範囲を制限するものである。われらの個性さえも、ある意味においてわれわれの理解力に制限を設ける物である。そして、われらの審美的個性は、過去の創作品の中に自己の類縁を求める。もっとも、修養によって美術観賞力は増大するものであって、われわれはこれまでは認められなかった多くの美の表現を味わうことができるようになるものである。が、畢竟するところ、われわれは万有の中に自分の姿を見るにすぎないのである。すなわちわれら特有の性質がわれらの理解方式を定めるのである。


第六章 花
喜びにも悲しみにも、花はわれらの不断の友である。…花無くてどうして生きていかれよう。花を奪われた世界を考えてみても恐ろしい。

悲しいかな、われわれは花を不断の友としながらも、いまだ禽獣の域を脱することあまり遠くないという事実をおおうことはできぬ。…花を飾るのは富を表す一時的美観の一部、すなわちその場の思いつきであるように思われる。これらの花は皆その騒ぎの済んだあとはどこへ行くのであろう。しおれた花が無情にも糞土の上に捨てられているのを見るほど、世にも哀れな物はない。

どうして花はかくも美しく生まれて、しかもかくまで薄命なのであろう。虫でも刺すことができる。最も温順な動物でも追いつめられると戦うものである。ボンネットを飾るために羽毛をねらわれている鳥はその追い手から飛び去ることができる、人が上着にしたいとむさぼる毛皮のある獣は、人が近づけば隠れることが出来る。悲しいかな!翼ある唯一の花と知られているのは蝶であって、他の花は皆、破壊者にあってはどうすることもできない。彼らが断末魔の苦しみに叫んだとても、その声はわれらの無情の耳へは消して達しない。

しかしあまりに感傷的になることはやめよう。奢る事をいっそういましめて、もっと壮大な気持ちになろうではないか。…われわれはいずれに向かっても「破壊」に面するのである。変化こそは唯一の永遠である。

花をちぎる事によって、新たな形を生み出して世人の考えを高尚にすることができるならば、そうしてもよいではないか。われわれが花に求むるところはただ美に対する奉納を共にせん事にあるのみ。われわれは「純潔」と「清楚」に身をささげることによってその罪滅ぼしをしよう。こういうふうな論法で、茶人たちは生花の法を定めたのである。…茶人たちは、花を選択することでかれらのなすべきことは終わったと考えて、その他の事は花みずからの身の上話にまかせた。

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by santos0113 | 2010-03-15 23:19 | book

日本の風景・西欧の景観―そして造景の時代

日本の風景・西欧の景観 そして造景の時代 (講談社現代新書)

オギュスタン・ベルク / 講談社

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第1章
風景という観念は文化的アイデンティティと密接に結びついているので、文化によって様々に変化する。

あらゆる文化とあらゆる時代に共通の基本的な特徴というものがいくつか存在することも確かである。

われわれは諸文化間のコントラストを過大評価しがちであり、時としてそれらの間に単純きわまる二項対立を持ち込み、絶対的な対立物を明確なものにしようとして現実を戯画化してしまうほどでもある。…特にしばしば、それも絶対的なものとして対立させられるのは、日本庭園とフランス式庭園である。

どちらも人間の考え出した自然というものを、それなりのやり方で表現しているにすぎない。…彼らの文化に固有の自然についての概念を表現している以上、誰もが正しいのである。


第2章
人間は風景を観賞し解釈するやり方において、すなわち知覚した情報の処理法において違いを見せる。…われわれは自身の属する文化に促されて、風景を肯定的に否定的にも観賞・評価するし、またそればかりではなく、風景の側面のいくつかを知覚したり、あるいはしなかったりもする。
つまり風景は現実の事物に関する情報と、もっぱら人間の脳によって練り上げられる情報の両方で構成されているのである。

『日本の環境』『日本の風景』このふたつの言葉の間の関係は一方通行的な物ではない。事実社会は環境に対して行う整備に応じて、その環境を知覚するし、また近くに応じて環境を整備する。…日本の風土はこのような複雑さにも関わらず、ある種の一般的な傾向で特徴づけられていて、それらの傾向は環境と風景の両方に類比的に表現されている。

日本の風景の美学は多中心的と形容できる。…日本の風景は永続的な適合の状態にある。生成の状態にある風景なのである。

近代的な主体は自分自身と事物の間に根源的な区別を設け、自然に関する近代の科学の基本的な客観性を確立する。…同時にその主体は『環境』をありのままのものとして、つまり客体として発見する。


第3章
今日では日本の風景において―ということはすなわち物質的形態とそれらを知覚するやり方の双方においてということだが―西欧の影響を受けているものといないものを見分けるのがきわめて難しくなっている。

確実なのは、明治期に美的モデルが大量に導入されたことによって、日本のエリート層の知覚の図式が大きく変化したということである。…教養ある都市生活者は日本の自然に西欧の価値の浸透した視線を注ぐようになる。

文化交流の流れはけっして一方通行にとどまることはなく、ペリー提督の来航に引き続く日本の開国以前においてさえすでに逆の流れがあったことも事実である。(ジャポニズムへのきっかけ)

ジャポニズムの流行は、近代の初頭にヨーロッパで生じた風景の揺らぎということの徴候のひとつと見ることが出来る。…観察者と絵と表現される対象の間の区別が希薄になっていく。

われわれが風景を知覚するときには、つねに想像力の世界が介入してくることになる。風景という、主体と客体対象の間の関係の現実においては、主観的な物は必然的に客観的な物と合成され、主体と客体という近代の二分法が有効性を失うのである。

二元論的思考は都市や住居に具体的に適用させるのが困難なのであった。そして近代の運動とともに最終的にそれが達成されたとき、わずか数十年でその分野における弊害が明らかになり、感情的な拒否反応が現れることになる。


第4章
人間の手の加わった空間に先立って野生の空間が存在したのではなく、事実はむしろ逆なのである。野生の空間は、歴史の流れの中で生まれた。(風景的にいえば)

日本では確実に、弥生時代の稲作の導入が野生の空間(山)の知覚の在り方を根本的に変えた。事実、水田が恒久的に集約された形で存在することは、牧畜の発展があまり見られないことと相まって、耕作地と森の間に強烈なコントラストを生んだ。…おそらくこのようなコントラストの強さのために、神道において野生の空間に聖性が認められるようになったのであろう。

日本では『山』の美化は二段階で行われた。新しい方は明治期のヨーロッパの風景図式の導入の時にさかのぼる。古いほうは中国からの文学・絵画のモデルの影響を受けて、奈良時代から確立されてきた。

海岸風景の場合にも、山岳風景の発見とかなり類似したプロセスが展開された。…しかしながら高山の場合とは異なり、海岸の絵画表現は近代の習慣に先立って存在していた。…山の場合とのもうひとつの相違としてあげられるのは、日本では西欧に門戸を開いた後にも、海岸のとらえ方には根本的な変化がもたらされなかったということである。

そこには中国から学んだ美的図式を超えて日本人固有の傾向が見られるのであり、これはもちろん日本列島の自然条件と関連付けて考えなければならない。


第5章
象徴のレヴェルで田園が規定されるのは、都市を出発点としてである。田園は都市の住民によって田園として知覚され、したがって田園として存在し始めるのである。

至る所で農民は自分のいる環境について親密な知識を持っている。けれどもそれを風景として見るには、特別な知覚の図式を獲得していなければならない。そしてこの図式は都市の文化から出てきたものなのである。

客体対象の観点からも、主体の観点からも、風景に関する本質的な事実といえるのは、田舎に住む人のなかに、住居をそこに構えるという点以外ではまったくの都市生活者であるような人の数が増加しつつあるということである。


第6章
日本の都市の起源には『都』がある。…都の存在を原則的に規定するのは『宮』、すなわち宗教と政治の混淆した儀礼の行われる神道の聖域である。ところで『宮』は自然と分かちがたく結びついている。…日本では都市文明の最高度の形態が自然を指向するということである。

緑の空間の問題は日本の都市の性格に関してはとりわけ決定的な意味を持つということであり、したがってまたその問題を取り扱い際に西欧の諸都市をモデルにした処方に頼ってはならないということである。

住居と都市の間に統合作用の欠如していることは、都市においてさえ住居が自然環境を指向することにこだわり、都市という構築された環境にはむかわないという事実に由来すると考えられよう。

東京の風景の無秩序について語るとすれば、ひとつにはこれは東京では個人の家や企業のビル(ミクロコスモス)が都市(メゾコスモス)の形態に対して相対的に独立して数を増やすことが出来るからであり、また他方では江戸の町の都市としての骨組みが基本的には自然の目印(マクロコスモス)との関係で組織化されていたからである。ところがこの都市のその後の変化を見ると、このような目印の多くは次第に消されていった。


第7章
日本では、このような『都市農村混合型』の風景が現在拡大しつつあることは、すでに江戸時代にあらわれていた傾向に対する断絶を意味するものではない。

それに対してヨーロッパでは、深刻な危機が生じていて、これがしばしば『風景の死』として受け止められている。…都市のメゾコスモスが統合の原則をもとにし、全体が部分に対して優位を占める限り、ちょっとしたことでその基盤となる調和が損なわれてしまう。…ヨーロッパに都市風景を再生させるものがあるとすれば、都市のメゾコスモスの統合という基本的な原則を尊重する新たな形態の創造である。

現今の時代にあっては、新しいパラダイムは世界規模の物にしかなり得ない。それはそれとして、この新たなパラダイムは西欧の伝統とは別な文化的伝統のなかにすでに現れている非西欧的な特徴を必然的に内包することだろう。風景が問題になると、伝統的な日本文化の特徴のいくつかがこの新しいパラダイムの構想を助けてくれる。
Ⅰ.主体の中心性の弱さ。
Ⅱ.現在主義。回遊式庭園における視点の点在は、回遊(場所に中心をおいた現在)に価値を見出すのであって、目的地(キリスト教的時間性に固有の過去―現在―未来という、主体の中心性を基礎づける遠近法的時間軸における未来)に価値を置くのではない。
Ⅲ.並置。一般的な秩序の軽視が徹底されると、あらゆる限定が退けられ、偶然と混沌が重要視されるようになる。

すなわち新しい風景は、西欧で近代の風景の危機から生まれたポスト二元論と、世界が知るようになったもう一つの大きな風景の伝統つまり東アジアの伝統において前提とされる非二元論、この両者の総合から形をとることになるだろうということである。…この新しい風景を『造景』と呼ぼう。

造景の時代への移行は必ずしも風景美の時代への移行を意味しない。けれども…環境をイメージとして生きることは、必然的に美的な配慮を、すなわち美を創りだそうとする真摯な欲求を伴う。

環境を造景すること、原則としてこれは現実に粉飾を施すことではなく、芸術作品の創造なのである。…われわれの前に開ける展望は、われわれの環境が全体として少しずつ芸術作品になっていき、こうしてわれわれの文化の最も高い価値を生態学的に表現するようになるということである。


まとめる。

風景とは何ぞや、というところから入る。
・風景というのは、その人の文化によって見方が変わるものであり、風景を肯定的に否定的にも観賞・評価するし、またそればかりではなく、風景の側面のいくつかを知覚したり、あるいはしなかったりもする。つまり誰にでも同じ見え方をしていると思ったら間違いだということ。
・それでも感じるものに共通の特徴は見いだせる。それをベルクは「元風景」としている。
・しばしば日本人はフランス庭園のような様式を自然的でない、とする。その逆も然り。しかし日本人にしても、フランス人にしても、それぞれの自然をそれぞれのやり方で表現しているだけ。どちらが正しい、ではない。

そもそも風景という観念はどこから生まれたか。
・風景という観念は、ヨーロッパでは16世紀になってようやく現れる。風景を意味する言葉は古代ギリシャ語にもラテン語にも存在しない。風景という価値観が無かった。
・近代になって、主体は自分自身と事物の間に区別を設ける。「環境」をありのままのものとして、客体として発見する。つまり自分は自分、環境は環境と、完全に別個のものとして分けた。環境が完全に別のものだとすれば、誰にとっても風景は同じものだと言える。
・そこに、ジャポニズムという異質な文化が入ってくる。たとえばより鮮やかなコントラストのある色彩の使用、非対称の尊重、俯瞰的視点の採用など。それはヨーロッパの風景の見方に揺らぎを与えた。
・今までの二元論では何か違うんじゃないか、という流れがやってきた。そして「われわれが風景を知覚するときには、つねに想像力の世界が介入してくることになる。」となる。つまり主体と客体は完全な別モノではなくその二つを合成したところに風景というものがある。

では、現在のような日本と西欧の風景の違いはどう生まれたか。
そのまえに、「野性の空間」に触れておく。
・われわれは野性の空間を犠牲にして少しずつ広がってきたと考えている。→風景の観点からいえば間違い!!
・事実は逆であり、野性の空間は、歴史の流れの中で生まれた。縄文人にとって、野性の空間というものはそれ自体としては存在しなかった。ある空間が、人間によって改変された度合いの低い周囲の場所からはっきり区別され、そうした空間が整備されていくにつれ、また相関的に人間が存続のために自然の富よりも自身の労働の産物にいっそう依存するようになるに従って、生まれた。

・日本では確実に、弥生時代の稲作の導入が野性の空間(山)の知覚の在り方を根本的に変えた。耕作地と森の間に強烈なコントラストを生み、このコントラストのために神道において野性の空間に聖性が認められるようになった。「山」は日本人の環境の知覚にとって、ヨーロッパ人にとっての「森」よりもはるかに個別化の進んだものだった。
・中国から学んだ美的図式を超えて日本人固有の傾向が見られるのであり、これはもちろん日本列島の自然条件と関連付けて考えなければならない。
・日本の都市の起源には『都』がある。…都の存在を原則的に規定するのは『宮』、すなわち宗教と政治の混淆した儀礼の行われる神道の聖域である。ところで『宮』は自然と分かちがたく結びついている。…日本では都市文明の最高度の形態が自然を指向するということである。
・住居と都市の間に統合(作用)の欠如していることは、都市においてさえ住居が自然環境を指向することにこだわり、都市という構築された環境にむかわないという事実に由来すると考えられる。
・たとえば東京の風景の無秩序について語るとすれば、ひとつにはこれは東京では個人の家や企業のビル(ミクロコスモス)が都市(メゾコスモス)の形態に対して相対的に独立して数を増やすことができるからであり、…江戸の町の都市としての骨組が基本的には自然の目印(マクロコスモス)との関係で組織化されていたからである。ところがこの都市のその後の変化を見ると、このような目印の多くは次第に消されていった。

要は、稲作の普及とともにまず耕作地と自然(マクロコスモス)が分けられ、アニミズム的宗教が誕生した。その後、都市(メゾコスモス)が形成されていったが、そこには常に自然(マクロコスモス)を指向するアニミズム的文化が根底にあり、メゾコスモスとしての秩序が西欧ほど強固に発展しなかった。さらに近代になり、自然(マクロコスモス)指向という文化が薄れていったときに、残ったのは個人(ミクロコスモス)中心の空間だった。
なるべくして、今の日本が出来上がった、と言えるのかもしれない。

日本も捨てたもんじゃない。
ヨーロッパはヨーロッパである絶望的な問題を迎えていて、それは日本文化という異物によって、解消されるかもしれない。
日本文化の特徴
Ⅰ.主体の中心性の弱さ。
Ⅱ.現在主義。回遊式庭園における視点の点在は、回遊(場所に中心をおいた現在)に価値を見出すのであって、目的地(キリスト教的時間性に固有の過去―現在―未来という、主体の中心性を基礎づける遠近法的時間軸における未来)に価値を置くのではない。
Ⅲ.並置。一般的な秩序の軽視が徹底されると、あらゆる限定が退けられ、偶然と混沌が重要視されるようになる
西欧で近代の風景の危機から生まれたポスト二元論と、東アジアの伝統において前提とされる非二元論、この両者の総合から形をとることになるだろうということである。…この新しい風景を『造景』と呼んでいる。

極端に簡単にすると、
昔は風景という観念が無かった

近代、風景という観念を発見

今の「見る」だけの風景に限界が訪れる

これからはみんなが「造る」風景の時代だ!
そしてそれを造るためには日本の文化がヒントになる。

ってことで…良い…のかな??笑

まとめきれず。。。


でも分かるのは、日本の町並みが汚い、汚い、と言われ続けているけど、だからといってヨーロッパを模倣すればいいような問題ではないこと。そしてその汚い日本の町並みの奥には、ひょっとしたら可能性があるということ。可能性を追求するためには、日本のたどってきた文化をより深く知る必要があるということ。そしてそれを繰り返すのではなく、現代における姿を再考すること。
こんなことが求められているのではないかなー、と。

もっといろいろ知って、また読み返す必要がありそう。
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by santos0113 | 2010-03-08 02:15 | book

ウィリアム・モリスの庭

ウィリアム・モリスの庭―デザインされた自然への愛

ジル ハミルトン / 東洋書林

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モリスの芸術作品をつらぬいて切れることの無い糸、それは原産植物相である。

「庭は、家を周囲の地域とつなげるための花の延長線として機能して、建物を『まとう』ものでなければならない。」

「庭は“へや”の連なりでなければならない、とモリスは確信したのである。その庭には、プライバシーの保てる“壁”としての生け垣、編み枝作りの垣、そして木があり、真っすぐな線をなす歩道とボーダーがしつらえられ、咲き誇る花々で装飾されている。」

「モリスは、公園に建てられたパラディオ式(16世紀のイタリアの建築家の建築様式)の邸宅を全く嫌った。なぜならそれらは、その地域との関連性や連続性が無いからである。彼は、石でも塀でも、納屋や建物であろうと、その区域の伝統からもたらされる構築物を好んだ。」

「モリスは自然な花を大切にした。そして植物に対するそのような操作(花の大きさや花弁の数を増やすために花を交配し、より目立つ八重咲きに改造するような操作)と、その結果か場開発された花―彼の言葉では『美を考えない変化、変化のための変化』の氾濫を嘆いたのである」


ウィリアム・モリスの残した数々の言葉を通して、僕が勝手に解釈しているランドスケープデザインの精神と似通う部分が多く見られる、と感じた。つまりそれは簡潔に言うと、生み出すデザインではなく、守り、生かすデザインということで、もちろんそれのみではないけれど。
「芸術の最も偉大な側面は、日常生活の芸術であり、それは歴史的な建物が示している。過去は現代の一部になっていくからである。」

モリスは生活に密着した身の回りのもの、壁紙・カーテン・家具・書籍等さまざまな物を精力的にデザインし、生活と芸術を一致させようとする姿勢が見られる。何か似ている、と思ったのが、最近知った加山又造という日本画家。この人も着物や茶道具から食器など、生活の中で使われる物のデザインを手がけていた。“用と美”という言葉が好きだ。用あってこその美だと感じるけど、用ばかりを重視しても、それはそれで寂しいのかな。ただ、実習で団塚先生が大切にしていた「普段使うものに遊び心を」ってのはもっといろんな人が持ってほしい考えだと思うし、自分も持ちたいと思う。

モリスのデザインした作品を見ていると何か日本的だなと感じた。色合いといい、形状といい、唐草模様のような印象を受ける。と、思って調べてみたら、日本趣味があるそう。どこか親近感のあるデザインだと思う。
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by santos0113 | 2010-03-05 22:45 | book