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6月5日 日記

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先日友人の結婚式に行ってきた。
新郎新婦のキスは結構良いものですね。
出来婚だけど、今自分に子供が出来たとしても育てることは出来んだろうなぁ。
自分があまり叱られた経験の無い人はあまり叱ることができないらしいけど、僕も多分そう。

叱れないんです。

何を叱ればいいのか分からない。
自分が叱っていることが正しいことなのか分からなくて。
倫理的に守らなければならないこととかいっぱいあって、でももし「何で守らなきゃいけないの?」って言われたら僕は答えに詰まってしまうと思う。
「ダメなものはダメなの!」としか言えない笑

すべてに対していーじゃんその人の個性じゃん、って言ったらもう何も叱ることは無くなる。
個性ってのは大事だと思う。
じゃあ、何を教えればいいんだろうか。分からない。


この前彼女にひどいことをしてしまったことがあって、言われたことが

「自分を認めることはいいけど、自分を隠すことは相手を傷つけないために必要でしょ」

自分の悪い部分も個性だから受け入れろよ、全部合わせて俺だろみたいな姿勢があったんだろう。
そんなことしてたらコミュニケーションが成り立たないのは考えたら分かりそうなものだけど。

バランスが必要なのかな。

子供なんて放っておいた方が良く育つって聞くから、自分がその答えとなっていれば、子供は勝手に学んで行ってくれるかもしれない。
ってか今からそんなこと考えても分からんな。


ただ子供にとって、僕が当たり前に通り過ぎることが当たり前ではない。
「そういうもんだ」と納得してるけど説明できないものはいっぱいあって、そういうものを改めて見ていくところにデザインとしてのヒントはあるだろうと思う。
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by santos0113 | 2010-06-06 00:48 | diary

公共と私

公共と私。僕のイメージの中で 公共→国家 私→自分 みたいな図式が出来上がってたけど、そうじゃないんだと気付く。公共とは、私の集積だ。
それについて分かりやすい対話があった。


誰かが広くて綺麗な庭をもっていて、せっかくだし他の人に公開するのは公共性を感じる。
「誰かのものだけど、みんなのもの」という感じ。
公開空地というのは、本来そのようにあるべきだと思うけど、規制の中でつくられたその空地は「誰のものでもない」。結局私のものでなければ公共のものでもないのかもしれない。

先日行ったオープンガーデンでは明らかに公共を意識した庭があった。
今までは「自分だけのもの」だったけど、「みんなに分けよう」という公共性の芽生えがあるんだろう。
公開空地は自分のものでないのであれば、いっそ誰かにあげちゃえばいいと思う。
「誰のものでもない」空地を、「○○に貸してる」空地にすればいい。
例えばアートギャラリーだとか屋台だとか、定例蚤の市…ただ道として使用するよりも企業側にはメリットがあったりしないのかな?

オープンガーデンを市ぐるみで行うことと同じように
公開空地全体で蚤の市を行えば、それは楽しそうだと思うんだけどどうだろう。

東京国際フォーラムではよく屋台が並んでいるけど、例えば有楽町全体にそれを広げてお祭り騒ぎにしてしまうという訳にはいかないんだろうか。近くの日比谷パティオも巻き込んだ一大イベントにしてしまってはダメなのだろうか。
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by santos0113 | 2010-05-25 00:09

ティンバライズ建築展

表参道で30日まで行われている、建築展です。
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ティンバライズとは木を新しい材料としてとらえ、新しいものを造り出すという造語だそう。
最近木を見直す徴候があるのかもしれない。
以前竹村真一という方がラジオで言っていました。
「木の家をつくることが日本の森をつくることになる」
人工林というのは手入れをしなければ鬱蒼とした単調な森になってしまう。適度に伐採などしてやらないといけないのだけど、杉など木の需要は少なく、人出不足でなかなか出来ていないのが現状。
最近では集成材と言って、いくつもの木を張り合わせて大きさや形、強度、また耐火性などを変えられる技術があるみたいで(ペラペラの紙でも束にすると強くなる感じ)、そうした技術を用いれば上の写真のような建築も可能だという。木造建築は耐火性に劣ると見られがちだったが、2004年に耐火認定を取得した。また、木を使った建築は二酸化炭素を多く固定している。資材の生産過程で発生するCO2は、RC造の約3分の2、S造の約4分の3である。また、建設時のCO2発生量はRC造の約半分でしかない。

国内で余って困っている木を適度に使うことで、適度な森が出来、それがまた生態系を豊富にする。日本の里山は人が適度に手をいれることで、豊かな生態系を生み出していた。
また、森の牧場というのもあるみたいで、これは草を食べる牛を山に放ち草を食べてもらい、人手を必要としないで管理を出来るという効率的な考え。パーマカルチャー的だと思う。

不景気だの温暖化だの悪いニュースが目立つけど、色んな小さなところで改善はされつつあると思う。
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by santos0113 | 2010-05-24 10:14 | diary

地域の文化財

地域の文化財―21世紀の思索

九州大学出版会

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地域文化財とはその地方のその地域の町や村の生活空間を構成し、それを魅力あるもの、活力ある生き生きとしたものとするために装置されたものをさします。鎮守の森、寺院の庭、野辺の石仏など、あるいは春や秋の祭り、盆や暮れ、新年の年中行事など一切がっさい、地域文化財として注目します。

地域文化財ではない、国や地方自治体によって、価値あるものと認められ、指定された文化財を指定文化財というのに対し、注目されていないけれどその地域独自の味を出しているものを地域文化財と呼んでいる。
一般に、地域文化財は軽視され、指定文化財のみを保存すべき文化財だとみなす傾向がある。
しかし、指定文化財は指定文化財である前に地域文化財であるということを確認することが必要だとしている。
宇治の平等院は、宇治側沿いの良好な環境におかれているわけですが、もし宇治川両岸になんの規制もなく、地域開発が安易な形ですすむとしたならば、宇治の平等院とその環境はまったく損なわれてしまうと思うのです。そういう意味で指定文化財としての宇治の平等院は、また宇治にとってかけがえのない地域文化財としての価値をもう一度確認することによって、初めてその良好な環境を維持していくことが出来るのだと思うのです。


「物的経済」「局地材的経済」という言葉がある。
そして「地域文化財が、局地材の性格を持っているという。
「物的経済」は技術の進歩、労働の生産性の上昇によって、一人当たりの供給量をふやしうるような通常の財についての分野です。
「局地材的経済」は景勝地など場所的にユニークな限定性があって、同じ形では簡単に増やすことは出来ず、したがって代替物を提供することが困難な「局地財」をとりあつかう分野をいうとしています。

例えば尾瀬の湿地とか桂離宮をいう。

地域文化財は周知でもなければ、顕在化していない場合が多い。過去では、地域文化財の局地財としての性格を過去において積極的に強めようとしていた。しかし現在では、各地の地域文化財がその大きい波の中で無視されたり忘れられたりしているのではないか、あるいは潜在化させていく風潮を生んでいるのではないか。
それぞれの地域がそれぞれの地域としての特色をそなえ、地域に特色のある自然の生態だとかあるいは文化的な環境という潜在化してしまったものを、今一度、局地財としてユニークな、他の地域には見られない地域文化財として再評価するという作業をする必要があるのではないかと思います。・・・それこそがそこに住んでいる人の一つの生きがい、そこに住むことを誇りにするような重要な契機となっているのではないでしょうか。


地域文化財の性格を明らかにするために、「限定芸術」についてみていく。
限定芸術は鶴見俊輔がとなえた概念である。
それによると芸術は「純粋芸術」「大衆芸術」「限定芸術」に分けられるという。
「純粋芸術」はいわゆる「芸術」で、それぞれの専門種目の作品の系列にたいして親しみを持つ専門的享受者をもっている。
「大衆芸術」はポピュラーなアートであり、非芸術的とかんがえられている。大衆芸術を教授するのは一般の大衆である。専門の芸術家によって作られはするが、企業家と専門的芸術化との合作の形をとる。
「限定芸術」は非専門的な芸術家によって作られ非専門的な享受者によって享受される。
そして限定芸術が成長の過程で最初に享受する芸術は限定芸術であるとしている。

都市の歴史と芸術がどう関連するのか。
ラスコーの壁画のようなものをえがいた描き手は明らかに非専門的な芸術家、そしてそれを見て感動を覚えた人、共感した人もおそらく非専門的な享受者である。その意味において、芸術の資源は限定芸術であるといえる。ところが都市が生まれる段階になると、それはエジプトにしてもメソポタミアにしても中国にしても、そういう段階で生まれてくるのは、すでに専門的な芸術家であった。都市の始原と純粋芸術の始原というのはかなり結びついている。

純粋芸術というのは、いつの時代でも限定芸術によって活力を得てきたという。
まず、地域文化財としての芸術が生まれ、そだち、やがて純粋芸術を刺激しそのなかに組み込まれていくのだと思うのです。まず、地域文化財としての芸術、それは地域の人々の間から生まれ、地域の人々によって鑑賞されてきた限定芸術なのです。

純粋芸術は、かつて限定芸術であり、そこにある地域性こそが芸術を活力有らしめるものとして貴重だとしている。

そして地域文化財は限定芸術の側面を持っている。

次に町家とその町並みについてみてみましょう。それは町大工と町人たちが知恵をだしあってうみだし自分達の町のデザインをどうすべきかということをかんがえて作られたものといえましょう。その地域と深く結びついた町大工と町人たちが、知恵を出し合い協力して作ったのが町家であり町並みなのです。限定芸術の特色をそなえ、、その地域に固有な地域文化財を形作ったのです。言いかえるならば、限定芸術の側面を地域文化財は持っているのです。そして指定文化財は純粋芸術の側面の方が強いのです。そして地域文化財の限定芸術的側面が、純粋芸術を刺激し、芸術の歴史は展開してきたと言えるのではないでしょうか。都市という生活空間も、地域文化財のもつ限界芸術的性格によって活性化されてきたといえるのではないでしょうか。



次に、地域の生活空間にはたす地域文化財の役割について。
地域文化財をなぜ大切にする必要があるのか、その効用。
①地域の個性を示している
それはその地域に生きていることによって、その地域に座を占めていることによって、価値がある。
②地域の連帯感をつよめ、失われた連帯感を回復するのに役立つ
京都では伝統的な町並みのならぶ地区では、今も、昔ながらの地蔵盆がもよおされ、町の人々をいったいかさせている。
地域文化財には世代をこえた交流、過去と現在、未来をつなぐものがあった。しかし現在、私達はそれを見失っている。

従来、都市計画とか建築を専門家に委ねすぎたことに、わたしは町がおもしろくなくなった原因の一つがあるように思うし、建築家の側から言えば、その地域の個性を無視したところに、その努力と力量を十分に生かせなかった面もあると思うのです。



問題なのは新しい建築が各地の伝統的なものを根こそぎ奪い去り、単調なありふれたもので置き換えるところに現在の危機があるのではないでしょうか。








良く日本の町並みをヨーロッパと比べて汚いという。確かに綺麗だとはいえないけれど、ヨーロッパにはヨーロッパの、日本には日本の事情があり、歴史がある。模倣すればいいような問題ではない。
それに僕は日本の町並みは嫌いじゃない。同じような見かけの町は増えている。でも良く歩いて見てみれば、面白いと思える、地域文化財的な要素を感じる場所がある。
そういう場所に注目されていなかったのが今までであって、今は多少なりとも注目はされているんだろう、本も出されているぐらいだし。
専門的な人たちが一方的に作る時代は終わり、非専門的な人が参加する時代になったんだろう。
だからやるべきことは、専門的な立場からすれば非専門的な人々の先導であり、非専門的な立場からすれば、自分達で作るという意思を持つことだろうと思う。
そして具体的な町並みというのは何かの模倣ではなくて、知恵を出し合って作られたものでなくてはならない。そこから独自性が生まれる。
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by santos0113 | 2010-04-23 22:41 | book

地先園芸とオープンガーデン

地先園芸は、住居の庭、鉢植えなんかが街路に出てきて、見る人を楽しませてくれる。下町なんかにある。
オープンガーデンとは、自分ちの庭を一般に開放して、一般に見れるようにしたもの。近年日本でも聞かれる。

二つは、周囲にある程度開かれていて、第三者の見る目を意識しているという点では同じである。
が、ある面から見るとそれらは対極に位置する。
パブリック→プライベート
なのか
プライベート→パブリック
なのかというところだ。
地先園芸が街路というパブリックな場所に対して、庭のプライベートな部分が染み出してきているのに対し、
オープンガーデンはプライベートな場所を、一般に公開することである程度パブリックとなっている。
どちらもプライベートとパブリックの中間の領域ではあるが、そこに違いがある。

オープンガーデンというのはそもそも、イギリス発祥だ。
イギリスは退職すると7割もの人が庭造りに精を出したいと感じているガーデン大国で、だからこそオープンガーデンのようなものが出てくる。歴史の積み重ねあってのオープンガーデンだ。
それを日本にそのまま持ってくるというのは、どうだろうか。

しかしオープンガーデンという言葉が入ってくる前から、日本にはそれと良く似た空間はあった。

軒先である。

軒先に座って何か作業していると、ちょっとご近所さんがたずねて来てゆったりと談笑する。
最近の家ではほとんど見られない光景であるが、確かにそういう中間の領域的な部分は存在した。

もともとオープンガーデンを受け入れられるような素地はあったのではないだろうか。
その素地がどのように培われてきたのか、それを知りたい。
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by santos0113 | 2010-04-20 22:36 | diary

文化的景観

松戸の新居に引っ越しました。友達とのシェアです。
部屋のインテリアとか考えてぬふぬふしちゃうけど金がないので実現には至りませぬorz
とりあえずミニコンポだけはケチらずにいずれ買いたいので、節約生活をする。
家計簿つけよう。これまで3回ほどチャレンジして一瞬で挫折してきた家計簿だけど
最近は筋トレにジョギングに続いてるのでちょっと期待。ってかやろう。

大学が徒歩5分の場所になったので好きな時に図書館に行けるようになったのが最高。
でも今まで延滞しすぎてもう借りることが出来ないので、持ち出しはできないのは最悪。馬鹿俺。

もう4年。卒論のテーマ決めで悩んでます。

「景観」という言葉。景観法という法律があるにもかかわらず定義はされていない変な言葉。
今まで景観は「美しさ」を基準に評価されていた。
大正8年の史跡名勝天然記念物保存法から平成16年の景観法に至るまで、それは一貫している。
そこに文化的景観という言葉が出てくる。

文化的景観とは
地域における人々の生活または生業および当該地域の風土により形成された景観地で、わが国民の生活または生業の理解のために欠くことが出来ないもの。

つまりは、棚田であったり、京都宇治のようなものをいう。
文化的景観と、例えば法隆寺のような文化財とはどう違うのか。
法隆寺という、すでに出来ているもの、変わらないものについては、それを維持することは可能だ。
しかし文化的景観は、活動があって初めて成立、持続している景観だ。
法隆寺は、変わらないある固定のものを維持していけば良いのに対し、
文化的景観が守るべきものは、その活動だというところに大きな違いがある。
文化的景観は生きている景観であり、人の活動によって成り立っている以上変化するのが自然な景観なのである。文化的景観は美しくある必要はない。

文化的景観は変化するもの。でも、その変化にも許容範囲がある。
例えば宇治に高層ビルが林立してしまえば、それは破壊だと言えるのではないか。
じゃあ何が変化の許容範囲内で、また範囲外なのだろうか。

それは
生命体としての自己組織化の原理
に基づいているかどうかではないか。
つまり他に頼ることなく、それ自身のみで存在することが出来るかどうかだ。
文化的景観は生き物であり、自己組織化する。
また人間が、私が私であることを保持できるのは、自分の過去の記憶が不可欠である。
文化的景観の保護と言うとき、それは
「自己組織化」と「自己同一性」
の保護と言えるのではないだろうか。

文化的景観のような生きている景観に対し、ロボットのような景観が増えている。
文化的景観自体も、人手不足だったりして存続の危機に陥っているところを見ると、ちゃんと生きているとはいい難い。

生きている景観を保全、つくり出すためにはどうすればいいだろうか。

表出されたものから、表出するものへ。

オギュスタンベルクの文章にもあった気がする。
「見る」風景から、「参加する」風景に変わっていく必要がある。
景観がいろんな層から成り立っているということを、それぞれが理解しなければならない。
オギュスタンベルク「日本の風景・西欧の景観―そして造景の時代」より
すなわち新しい風景は、西欧で近代の風景の危機から生まれたポスト二元論と、世界が知るようになったもう一つの大きな風景の伝統つまり東アジアの伝統において前提とされる非二元論、この両者の総合から形をとることになるだろうということである。…この新しい風景を『造景』と呼ぼう。
造景の時代への移行は必ずしも風景美の時代への移行を意味しない。けれども…環境をイメージとして生きることは、必然的に美的な配慮を、すなわち美を創りだそうとする真摯な欲求を伴う。




僕が今までうまく言葉にできなかった綺麗な景観というのは、つまり生きている景観だったかもしれない、と思う。
パーマカルチャーとも関連するんじゃないか。
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by santos0113 | 2010-04-02 21:14 | diary

日本の風景・西欧の景観―そして造景の時代

日本の風景・西欧の景観 そして造景の時代 (講談社現代新書)

オギュスタン・ベルク / 講談社

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第1章
風景という観念は文化的アイデンティティと密接に結びついているので、文化によって様々に変化する。

あらゆる文化とあらゆる時代に共通の基本的な特徴というものがいくつか存在することも確かである。

われわれは諸文化間のコントラストを過大評価しがちであり、時としてそれらの間に単純きわまる二項対立を持ち込み、絶対的な対立物を明確なものにしようとして現実を戯画化してしまうほどでもある。…特にしばしば、それも絶対的なものとして対立させられるのは、日本庭園とフランス式庭園である。

どちらも人間の考え出した自然というものを、それなりのやり方で表現しているにすぎない。…彼らの文化に固有の自然についての概念を表現している以上、誰もが正しいのである。


第2章
人間は風景を観賞し解釈するやり方において、すなわち知覚した情報の処理法において違いを見せる。…われわれは自身の属する文化に促されて、風景を肯定的に否定的にも観賞・評価するし、またそればかりではなく、風景の側面のいくつかを知覚したり、あるいはしなかったりもする。
つまり風景は現実の事物に関する情報と、もっぱら人間の脳によって練り上げられる情報の両方で構成されているのである。

『日本の環境』『日本の風景』このふたつの言葉の間の関係は一方通行的な物ではない。事実社会は環境に対して行う整備に応じて、その環境を知覚するし、また近くに応じて環境を整備する。…日本の風土はこのような複雑さにも関わらず、ある種の一般的な傾向で特徴づけられていて、それらの傾向は環境と風景の両方に類比的に表現されている。

日本の風景の美学は多中心的と形容できる。…日本の風景は永続的な適合の状態にある。生成の状態にある風景なのである。

近代的な主体は自分自身と事物の間に根源的な区別を設け、自然に関する近代の科学の基本的な客観性を確立する。…同時にその主体は『環境』をありのままのものとして、つまり客体として発見する。


第3章
今日では日本の風景において―ということはすなわち物質的形態とそれらを知覚するやり方の双方においてということだが―西欧の影響を受けているものといないものを見分けるのがきわめて難しくなっている。

確実なのは、明治期に美的モデルが大量に導入されたことによって、日本のエリート層の知覚の図式が大きく変化したということである。…教養ある都市生活者は日本の自然に西欧の価値の浸透した視線を注ぐようになる。

文化交流の流れはけっして一方通行にとどまることはなく、ペリー提督の来航に引き続く日本の開国以前においてさえすでに逆の流れがあったことも事実である。(ジャポニズムへのきっかけ)

ジャポニズムの流行は、近代の初頭にヨーロッパで生じた風景の揺らぎということの徴候のひとつと見ることが出来る。…観察者と絵と表現される対象の間の区別が希薄になっていく。

われわれが風景を知覚するときには、つねに想像力の世界が介入してくることになる。風景という、主体と客体対象の間の関係の現実においては、主観的な物は必然的に客観的な物と合成され、主体と客体という近代の二分法が有効性を失うのである。

二元論的思考は都市や住居に具体的に適用させるのが困難なのであった。そして近代の運動とともに最終的にそれが達成されたとき、わずか数十年でその分野における弊害が明らかになり、感情的な拒否反応が現れることになる。


第4章
人間の手の加わった空間に先立って野生の空間が存在したのではなく、事実はむしろ逆なのである。野生の空間は、歴史の流れの中で生まれた。(風景的にいえば)

日本では確実に、弥生時代の稲作の導入が野生の空間(山)の知覚の在り方を根本的に変えた。事実、水田が恒久的に集約された形で存在することは、牧畜の発展があまり見られないことと相まって、耕作地と森の間に強烈なコントラストを生んだ。…おそらくこのようなコントラストの強さのために、神道において野生の空間に聖性が認められるようになったのであろう。

日本では『山』の美化は二段階で行われた。新しい方は明治期のヨーロッパの風景図式の導入の時にさかのぼる。古いほうは中国からの文学・絵画のモデルの影響を受けて、奈良時代から確立されてきた。

海岸風景の場合にも、山岳風景の発見とかなり類似したプロセスが展開された。…しかしながら高山の場合とは異なり、海岸の絵画表現は近代の習慣に先立って存在していた。…山の場合とのもうひとつの相違としてあげられるのは、日本では西欧に門戸を開いた後にも、海岸のとらえ方には根本的な変化がもたらされなかったということである。

そこには中国から学んだ美的図式を超えて日本人固有の傾向が見られるのであり、これはもちろん日本列島の自然条件と関連付けて考えなければならない。


第5章
象徴のレヴェルで田園が規定されるのは、都市を出発点としてである。田園は都市の住民によって田園として知覚され、したがって田園として存在し始めるのである。

至る所で農民は自分のいる環境について親密な知識を持っている。けれどもそれを風景として見るには、特別な知覚の図式を獲得していなければならない。そしてこの図式は都市の文化から出てきたものなのである。

客体対象の観点からも、主体の観点からも、風景に関する本質的な事実といえるのは、田舎に住む人のなかに、住居をそこに構えるという点以外ではまったくの都市生活者であるような人の数が増加しつつあるということである。


第6章
日本の都市の起源には『都』がある。…都の存在を原則的に規定するのは『宮』、すなわち宗教と政治の混淆した儀礼の行われる神道の聖域である。ところで『宮』は自然と分かちがたく結びついている。…日本では都市文明の最高度の形態が自然を指向するということである。

緑の空間の問題は日本の都市の性格に関してはとりわけ決定的な意味を持つということであり、したがってまたその問題を取り扱い際に西欧の諸都市をモデルにした処方に頼ってはならないということである。

住居と都市の間に統合作用の欠如していることは、都市においてさえ住居が自然環境を指向することにこだわり、都市という構築された環境にはむかわないという事実に由来すると考えられよう。

東京の風景の無秩序について語るとすれば、ひとつにはこれは東京では個人の家や企業のビル(ミクロコスモス)が都市(メゾコスモス)の形態に対して相対的に独立して数を増やすことが出来るからであり、また他方では江戸の町の都市としての骨組みが基本的には自然の目印(マクロコスモス)との関係で組織化されていたからである。ところがこの都市のその後の変化を見ると、このような目印の多くは次第に消されていった。


第7章
日本では、このような『都市農村混合型』の風景が現在拡大しつつあることは、すでに江戸時代にあらわれていた傾向に対する断絶を意味するものではない。

それに対してヨーロッパでは、深刻な危機が生じていて、これがしばしば『風景の死』として受け止められている。…都市のメゾコスモスが統合の原則をもとにし、全体が部分に対して優位を占める限り、ちょっとしたことでその基盤となる調和が損なわれてしまう。…ヨーロッパに都市風景を再生させるものがあるとすれば、都市のメゾコスモスの統合という基本的な原則を尊重する新たな形態の創造である。

現今の時代にあっては、新しいパラダイムは世界規模の物にしかなり得ない。それはそれとして、この新たなパラダイムは西欧の伝統とは別な文化的伝統のなかにすでに現れている非西欧的な特徴を必然的に内包することだろう。風景が問題になると、伝統的な日本文化の特徴のいくつかがこの新しいパラダイムの構想を助けてくれる。
Ⅰ.主体の中心性の弱さ。
Ⅱ.現在主義。回遊式庭園における視点の点在は、回遊(場所に中心をおいた現在)に価値を見出すのであって、目的地(キリスト教的時間性に固有の過去―現在―未来という、主体の中心性を基礎づける遠近法的時間軸における未来)に価値を置くのではない。
Ⅲ.並置。一般的な秩序の軽視が徹底されると、あらゆる限定が退けられ、偶然と混沌が重要視されるようになる。

すなわち新しい風景は、西欧で近代の風景の危機から生まれたポスト二元論と、世界が知るようになったもう一つの大きな風景の伝統つまり東アジアの伝統において前提とされる非二元論、この両者の総合から形をとることになるだろうということである。…この新しい風景を『造景』と呼ぼう。

造景の時代への移行は必ずしも風景美の時代への移行を意味しない。けれども…環境をイメージとして生きることは、必然的に美的な配慮を、すなわち美を創りだそうとする真摯な欲求を伴う。

環境を造景すること、原則としてこれは現実に粉飾を施すことではなく、芸術作品の創造なのである。…われわれの前に開ける展望は、われわれの環境が全体として少しずつ芸術作品になっていき、こうしてわれわれの文化の最も高い価値を生態学的に表現するようになるということである。


まとめる。

風景とは何ぞや、というところから入る。
・風景というのは、その人の文化によって見方が変わるものであり、風景を肯定的に否定的にも観賞・評価するし、またそればかりではなく、風景の側面のいくつかを知覚したり、あるいはしなかったりもする。つまり誰にでも同じ見え方をしていると思ったら間違いだということ。
・それでも感じるものに共通の特徴は見いだせる。それをベルクは「元風景」としている。
・しばしば日本人はフランス庭園のような様式を自然的でない、とする。その逆も然り。しかし日本人にしても、フランス人にしても、それぞれの自然をそれぞれのやり方で表現しているだけ。どちらが正しい、ではない。

そもそも風景という観念はどこから生まれたか。
・風景という観念は、ヨーロッパでは16世紀になってようやく現れる。風景を意味する言葉は古代ギリシャ語にもラテン語にも存在しない。風景という価値観が無かった。
・近代になって、主体は自分自身と事物の間に区別を設ける。「環境」をありのままのものとして、客体として発見する。つまり自分は自分、環境は環境と、完全に別個のものとして分けた。環境が完全に別のものだとすれば、誰にとっても風景は同じものだと言える。
・そこに、ジャポニズムという異質な文化が入ってくる。たとえばより鮮やかなコントラストのある色彩の使用、非対称の尊重、俯瞰的視点の採用など。それはヨーロッパの風景の見方に揺らぎを与えた。
・今までの二元論では何か違うんじゃないか、という流れがやってきた。そして「われわれが風景を知覚するときには、つねに想像力の世界が介入してくることになる。」となる。つまり主体と客体は完全な別モノではなくその二つを合成したところに風景というものがある。

では、現在のような日本と西欧の風景の違いはどう生まれたか。
そのまえに、「野性の空間」に触れておく。
・われわれは野性の空間を犠牲にして少しずつ広がってきたと考えている。→風景の観点からいえば間違い!!
・事実は逆であり、野性の空間は、歴史の流れの中で生まれた。縄文人にとって、野性の空間というものはそれ自体としては存在しなかった。ある空間が、人間によって改変された度合いの低い周囲の場所からはっきり区別され、そうした空間が整備されていくにつれ、また相関的に人間が存続のために自然の富よりも自身の労働の産物にいっそう依存するようになるに従って、生まれた。

・日本では確実に、弥生時代の稲作の導入が野性の空間(山)の知覚の在り方を根本的に変えた。耕作地と森の間に強烈なコントラストを生み、このコントラストのために神道において野性の空間に聖性が認められるようになった。「山」は日本人の環境の知覚にとって、ヨーロッパ人にとっての「森」よりもはるかに個別化の進んだものだった。
・中国から学んだ美的図式を超えて日本人固有の傾向が見られるのであり、これはもちろん日本列島の自然条件と関連付けて考えなければならない。
・日本の都市の起源には『都』がある。…都の存在を原則的に規定するのは『宮』、すなわち宗教と政治の混淆した儀礼の行われる神道の聖域である。ところで『宮』は自然と分かちがたく結びついている。…日本では都市文明の最高度の形態が自然を指向するということである。
・住居と都市の間に統合(作用)の欠如していることは、都市においてさえ住居が自然環境を指向することにこだわり、都市という構築された環境にむかわないという事実に由来すると考えられる。
・たとえば東京の風景の無秩序について語るとすれば、ひとつにはこれは東京では個人の家や企業のビル(ミクロコスモス)が都市(メゾコスモス)の形態に対して相対的に独立して数を増やすことができるからであり、…江戸の町の都市としての骨組が基本的には自然の目印(マクロコスモス)との関係で組織化されていたからである。ところがこの都市のその後の変化を見ると、このような目印の多くは次第に消されていった。

要は、稲作の普及とともにまず耕作地と自然(マクロコスモス)が分けられ、アニミズム的宗教が誕生した。その後、都市(メゾコスモス)が形成されていったが、そこには常に自然(マクロコスモス)を指向するアニミズム的文化が根底にあり、メゾコスモスとしての秩序が西欧ほど強固に発展しなかった。さらに近代になり、自然(マクロコスモス)指向という文化が薄れていったときに、残ったのは個人(ミクロコスモス)中心の空間だった。
なるべくして、今の日本が出来上がった、と言えるのかもしれない。

日本も捨てたもんじゃない。
ヨーロッパはヨーロッパである絶望的な問題を迎えていて、それは日本文化という異物によって、解消されるかもしれない。
日本文化の特徴
Ⅰ.主体の中心性の弱さ。
Ⅱ.現在主義。回遊式庭園における視点の点在は、回遊(場所に中心をおいた現在)に価値を見出すのであって、目的地(キリスト教的時間性に固有の過去―現在―未来という、主体の中心性を基礎づける遠近法的時間軸における未来)に価値を置くのではない。
Ⅲ.並置。一般的な秩序の軽視が徹底されると、あらゆる限定が退けられ、偶然と混沌が重要視されるようになる
西欧で近代の風景の危機から生まれたポスト二元論と、東アジアの伝統において前提とされる非二元論、この両者の総合から形をとることになるだろうということである。…この新しい風景を『造景』と呼んでいる。

極端に簡単にすると、
昔は風景という観念が無かった

近代、風景という観念を発見

今の「見る」だけの風景に限界が訪れる

これからはみんなが「造る」風景の時代だ!
そしてそれを造るためには日本の文化がヒントになる。

ってことで…良い…のかな??笑

まとめきれず。。。


でも分かるのは、日本の町並みが汚い、汚い、と言われ続けているけど、だからといってヨーロッパを模倣すればいいような問題ではないこと。そしてその汚い日本の町並みの奥には、ひょっとしたら可能性があるということ。可能性を追求するためには、日本のたどってきた文化をより深く知る必要があるということ。そしてそれを繰り返すのではなく、現代における姿を再考すること。
こんなことが求められているのではないかなー、と。

もっといろいろ知って、また読み返す必要がありそう。
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by santos0113 | 2010-03-08 02:15 | book

ふと

他でもない、日本にとってのパーマカルチャー的なランドスケープの在り方、とは。
そこに自分が必要だと思うものがあるのかな。
持続可能性を追求しつつ、日本における望ましい風景をつくること。
パーマカルチャーとランドスケープという2つの事柄を結びつけ、デザインすること。
もっと両方のことを知らなければならない。

パーマカルチャーを取り入れている舎爐夢(シャロム)ヒュッテ
スタッフ体験ステイを募集しているみたい。行こうかな。
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by santos0113 | 2010-03-07 14:23 | diary

パーマカルチャー

パーマカルチャー―農的暮らしの永久デザイン

ビル モリソン / 農山漁村文化協会

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パーマカルチャーというのは、人間にとっての恒久的持続可能な環境をつくりだすためのデザイン体系の事である。パーマカルチャーという語そのものは、パーマネント(permanent 永久の)とアグリカルチャー(agriculture 農業)をつづめたものであるが、同時にパーマネントとカルチャー(文化)の縮約形でもある。文化というものは、永続可能な農業と倫理的な土地利用という基盤なしには長くは続きえないものだからである。

元はミクシィのコミュニティで出会ったこの言葉。
パーマカルチャーの核心はデザイン(設計)である。デザインとは物と物のあいだの関連の事である。…デザインすべき構成要素をもっとも効率よく機能させるためには、それらを適所に配置しなければならない。

要するに、持続可能な生活をしよう、出来るだけ余計なエネルギーを使わないために、効率的なやりかたを紹介しよう。という本。というよりももはや教科書。現代における農業の在り方、というのを突き詰めた姿だと思う。パーマカルチャーという分野をなぜ園芸学部で取り上げないのか全く分からない。
土壌改良の仕方から、防風林の配置様式、家屋の間取り、果ては動物の飼い方まで、幅広く、かつ驚くほど細かなところまで教えてくれる。それは
それぞれの構成要素の間に実際に役立つ関係をつくりあげ、ひとつの要素が必要とするものが、他の要素の産生物によって充たされるようにするのである。そのためには、全ての構成要素について、その基本的特徴と、それが必要とするものと、その産生物とを良く知っておくことが必要である。

という考えから来る。
ニワトリを飼う。ニワトリを畑に入れれば地面をひっかいて除草し、あとには肥料を残してくれる。畑の余った作物はニワトリが処理する。といった風に、キャベツはキャベツ、ニワトリはニワトリ、といった風な従来の農業から一転、それぞれを関連付けて、うまいこと楽してやっていこうよ、と。膨大な量のものと関連付けて、これでもかというほど合理的な農業生活を提案。
ビル・モリソンは食物生産をもう一度、都市部に取り戻すことを目指している。


ビル・モリソンは切実にメッセージを送ってくる。
ときどき、われわれ、地球上の者すべてが、意識的なあるいは無意識的な陰謀に捕えられて、自分自身を無力にしているように思われる。しかしながら人間こそが、他の人が生きていくのに必要な物全てを生産するのであり、そうして初めてともに生き残ることが出来るのである。飢饉であろうと、不正であろうと、またこの世界のばかげた考え方であろうと、全てそれらを立て直すことが出来るのは私たち自身なのだ。



私の効果的な活動の妨げになっているものは、都市の権威に頼ろうとする、私たち自身の受動性にある。

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by santos0113 | 2010-03-06 18:51 | book

連戦連敗

連戦連敗

安藤 忠雄 / 東京大学出版会

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自分たちの思いと、現実の諸条件との折り合いがつかずに行き詰り、苦しむのはいつものことで、結局計画中断という事態も少なくはないし、コンペに挑戦しても、大抵が敗退に終わっている。都市への提案に至っては、実現に至るどころか、聞いてももらえないことがほとんどです。…特に現在は、社会が建築を必要としていない。

30年余りの建築家としての仕事、それも敗退に終わったコンペを通して、安藤忠雄の建築への、またそれに限らず建築を通した社会への考えが述べられている。「連戦連敗」というタイトル通り、ことごとく負けに負けまくっている安藤忠雄の姿が見られる。
ところが、結果はまたしても落選でした。
文章中何度も出てくる。爽快な程の負けっぷり。
それでも全体を通して見られるのは、
結果としては私はこのコンペに負けはしましたが、参加したことは決して無駄ではありませんでした。

結果は敗退でしたが、建築の再生という今日的な課題を考える上で、非常に重要な示唆を与えてくれたプロジェクトであったように思います。

といった、あくまで謙虚かつあきらめない姿勢。安藤忠雄という人物の内面を窺い知れる。
そしてあとがきではこう締められている。
私は私なりに、建築との戦いを続けている。これから社会に出て行こうとする学生たちも覚悟しておいたほうがよい。建築家とは厳しく、困難な生き方だ。自らの思い通りに事が進むことなどほとんどない。日々、闘いである。だが、だからこそ建築は面白い。信念をもって、それをつらぬくために闘って生きていく―これほど“自分”を頼りに生きていくことのできる職業はほかにないのだから。

この本は建築の技術論などではない。安藤忠雄の精一杯の応援メッセージ。
設計を行い、その都度反省を繰り返し、安藤忠雄は成長を続けているように思える。設計を通して社会と向き合い、自分と向き合い、結果学ぶものがあるというのは、非常に共感。(僕の数少ない、また規模も比べるまでもない実習と比べるのはおこがましいかもしれないけど)ただ僕に、その過程を繰り返し繰り返し続けることのできる肉体的、精神的頑強さが、あるいは設計という仕事に対する誠実さが果たしてあるのだろうか。(やってみなきゃ分からないだろう)という思いとは反対に、僕は何となく無いだろうな、という答えを出してしまっている。

建築への考えについて。
私は、建築は機能を持つことで現代に適応してこそ生命をもち得るものだと考えています。歴史的建造物もまた博物館的に保存するだけではなく、現代に活き活きと機能させてやらなければ、残す意味はない。

新旧の衝突。ただ古いものを残すのでなく、といって全く新しいものにするのでなく。新しいものと古いものを対話させ、歴史を積み重ねていくところに何か生まれるものがあるのだろうか。
自然を巧みに生かした気候適応の方法といった、その土地の特性をつぶさに読み取り、味方につけていこうとする姿勢は、人間と自然とのかかわりを考える上で最も大切なところです。こうした地域的なものへの眼差しこそが、現代のいわゆるエコロジー建築に欠落している部分のように思います。

先日読んだウィリアム・モリスの庭でも同様の事が述べられていた。さらにプランタゴの田瀬理夫さんも言っていたように思う。今の時代に求められているものであり、これからだんだん出てくるものではないか。
突き詰めていくと、建築の分野で環境問題に対してできる最大の貢献とは、結局何も作らないということになりそうですが、それではあまりに極論になってしまいます。となると、その次には、その規模を極力小さくしようというところに行き着くのではないでしょうか。その時、既存の建物を修復・再生していくということが重要な意味を持って浮上してきます。

自然を破壊するのか、保護するのかという極端な2択だけではない。理想を訴えるだけでは、破壊は進行するばかり。出来ることをやっていこうよ、と。また、
単に自然環境だけでなく、社会的・文化的な環境についても、それぞれの相互作用関係を踏まえて考察することが不可欠なのだと思います。

環境というのは、いろんなものが複雑に絡み合って出来ているもので、それだけ相互作用もあることを考えなければならない。ということは、アプローチの仕方も幾通りもあると考えられる。
建築は、結局そのつくり手である建築家を越え得ないもの。芸術性や論理性を問われつつも、なお社会的産物としての側面をもつ建築に、それでも理念を掲げ、自らの意思を介入させていくのが建築家の仕事だから。


ランドスケープにも、同じことがいえるだろうか。自らの意思を介入するというプロセスはあるだろうか。分からない。
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by santos0113 | 2010-03-05 22:50 | book