<   2010年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

メモ

僕は人と親しくなりすぎると、色んな事を求めてしまう。
どこで染み付いたのか誰にも嫌われたくないという意識が底の方にいっつもあって、だからあまり親しくない人には自分をどう思っているか不安で優しくする。
その優しさが全部嘘ではないと思うけど、少なくとも素の自分を隠していることは確かで、それは人間関係を保つのに必要なことと思う。
でもどうしても作っていない自分の事を好きになってほしいという思いがあって、そういう時に大概人を傷つける。
それで自分の本質的な部分は何の価値も無いようで寂しくなる。
嫌われたくないから優しい自分を作って、そのまま一生を終えると考えると何だか絶望的な気分になる。

自分を形作っていったのは過去の周りの環境が大きく関わっていて、だから人により素の自分をどこまで隠さないといけないかは違う。みんなが大なり小なり隠しながら生活してる。

僕はそれぞれが隠しながら生きてることを受け入れたい。
誰かに対して持っているイメージが作られているもので、本当は全く違う醜い部分を持っているとしても、受け入れたい。
隠すことは悪いことではない。隠し続ければいい。けど隠すことに疲れた時、それを許してあげられる心を持っていたい。
醜い部分を出していいというわけではない。人を傷つけるならば、それは隠して生きていくべきだと思う。
でもそれぞれに醜い部分があると、それを許すことで相手は楽になるのではないだろうか。
少なくとも僕がそうであるから。

Mr.Childrenのファスナーという曲がある。解釈はそれぞれだけど、後半部分に共感する部分がある。

[PR]
by santos0113 | 2010-06-21 14:47 | diary

6月11日 日記

批判されるのは凹むし腹が立つ。自分の考えに自信があったときは自分が正しいと思いたい。

でもたまに批判されてボキっと折られないと、次の段階になかなか進めない。
僕はすぐに調子に乗って自分が優れていると思いたい性質なので。
いつも自分の考えを見つめなおして修正していける謙虚さみたいなもんがあったら、大丈夫かもしれんけど、僕は全く無いので。
そして批判を受け入れるくらいの冷静さを取り戻すには数日かかる。
批判されたことに対して確かになって思うこともあれば、やっぱりそれは筋が通ってないなって思うこともある。

筋が通っていない批判。
反抗期の時はそういうものに対してものすごくイライラしていた気がする。
うまく説明できないけど、何か違うやろそれは。ってのが自分の中にあって、でもうまく言葉に出来なくてまたイライラ。

でもテレビや雑誌の知識とかルールに基づくものではなくて、自分の感覚として「何か違うやろそれは」ってのは割と信用していいもので、ただそれを主張するためにはその「何か」が何なのか答えを出すことが重要なんだと気付き意識的になったのは結構最近になってだった。



何が言いたかったんだっけ笑

とにかく批判ってのはあって然るべきもので、批判することされることをいちいち恐れてちゃいかんこと。
ただここでいう批判ってのは、世間的に見て「キモww」なんかではなくて、ちゃんと自分の言葉として筋が通ったものであって、上のような言葉は批判ではなくて中傷でしかない。

批判と中傷がごっちゃになっているような気がして、こわい。
批判は相手の成長を願う行動だけど、中傷は違う。
俺は批判によって相手が敵意を持つことがこわくて何も言えないような人間だから、批判をポジティブに捉えられる雰囲気が広がって欲しいと思ってこんなことを書いてみる。
[PR]
by santos0113 | 2010-06-11 11:51 | diary

6月5日 日記

b0164273_2129063.jpg

先日友人の結婚式に行ってきた。
新郎新婦のキスは結構良いものですね。
出来婚だけど、今自分に子供が出来たとしても育てることは出来んだろうなぁ。
自分があまり叱られた経験の無い人はあまり叱ることができないらしいけど、僕も多分そう。

叱れないんです。

何を叱ればいいのか分からない。
自分が叱っていることが正しいことなのか分からなくて。
倫理的に守らなければならないこととかいっぱいあって、でももし「何で守らなきゃいけないの?」って言われたら僕は答えに詰まってしまうと思う。
「ダメなものはダメなの!」としか言えない笑

すべてに対していーじゃんその人の個性じゃん、って言ったらもう何も叱ることは無くなる。
個性ってのは大事だと思う。
じゃあ、何を教えればいいんだろうか。分からない。


この前彼女にひどいことをしてしまったことがあって、言われたことが

「自分を認めることはいいけど、自分を隠すことは相手を傷つけないために必要でしょ」

自分の悪い部分も個性だから受け入れろよ、全部合わせて俺だろみたいな姿勢があったんだろう。
そんなことしてたらコミュニケーションが成り立たないのは考えたら分かりそうなものだけど。

バランスが必要なのかな。

子供なんて放っておいた方が良く育つって聞くから、自分がその答えとなっていれば、子供は勝手に学んで行ってくれるかもしれない。
ってか今からそんなこと考えても分からんな。


ただ子供にとって、僕が当たり前に通り過ぎることが当たり前ではない。
「そういうもんだ」と納得してるけど説明できないものはいっぱいあって、そういうものを改めて見ていくところにデザインとしてのヒントはあるだろうと思う。
[PR]
by santos0113 | 2010-06-06 00:48 | diary