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変化

タイトルとスキンを変えてみた。
僕も1年前とは変わった。
今は悪い変化としか受け取れないけど、もしかしたら後々違ってくるのかもしれない。
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by santos0113 | 2010-12-08 16:05

最近自分で自分を励ましてる言葉

-今、出来ることをやる
-男は強くあるべき
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by santos0113 | 2010-08-20 15:55

僕は成功する人間ではないと思ったりするけど、

負け犬でもいいと書いたけど、

男たるものそんなんじゃいけねえ

って気持ちが強いです笑



男は何かに頑張んなきゃいけない。腐ってちゃいけない。

いつまでも恰好良くあろうとするべきだと思う。


自分に見切りをつけることは悪いことではない。

すぐに諦めてしまうのは良くない。

けど、憧れにいつまでもしがみついてるのも良くない。


僕は社会的に成功するタイプの人間では絶対にない。断言できる。そういう能力的な意味で僕は負け犬であると思うし、それで構わないと思う。
人生においては勝ち負けは存在しない。ただし自分で自分を負け組だなんて言っているような奴は負けているのかもしれない。


自分の能力の範囲内で出来ることを探さなくちゃいけない。

それは男としての義務であると僕は思う。

たとえ能力が低いとしても、自分が出来ることに確信を持って取り組める人は決して恰好悪くない。

それを笑うような奴はカスだ。



努力もせず自分の能力を測る前から逃げている僕もカスだ。

負け犬を認めることは構わない。けど、苦しいことから逃げるのを認めてしまってはいけないと感じる。
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by santos0113 | 2010-07-21 20:40

公共と私

公共と私。僕のイメージの中で 公共→国家 私→自分 みたいな図式が出来上がってたけど、そうじゃないんだと気付く。公共とは、私の集積だ。
それについて分かりやすい対話があった。


誰かが広くて綺麗な庭をもっていて、せっかくだし他の人に公開するのは公共性を感じる。
「誰かのものだけど、みんなのもの」という感じ。
公開空地というのは、本来そのようにあるべきだと思うけど、規制の中でつくられたその空地は「誰のものでもない」。結局私のものでなければ公共のものでもないのかもしれない。

先日行ったオープンガーデンでは明らかに公共を意識した庭があった。
今までは「自分だけのもの」だったけど、「みんなに分けよう」という公共性の芽生えがあるんだろう。
公開空地は自分のものでないのであれば、いっそ誰かにあげちゃえばいいと思う。
「誰のものでもない」空地を、「○○に貸してる」空地にすればいい。
例えばアートギャラリーだとか屋台だとか、定例蚤の市…ただ道として使用するよりも企業側にはメリットがあったりしないのかな?

オープンガーデンを市ぐるみで行うことと同じように
公開空地全体で蚤の市を行えば、それは楽しそうだと思うんだけどどうだろう。

東京国際フォーラムではよく屋台が並んでいるけど、例えば有楽町全体にそれを広げてお祭り騒ぎにしてしまうという訳にはいかないんだろうか。近くの日比谷パティオも巻き込んだ一大イベントにしてしまってはダメなのだろうか。
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by santos0113 | 2010-05-25 00:09

鴻巣オープンガーデン

雨でしたがバラが綺麗に咲いていました。
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バラもいいけど、こういうさりげない気配りのようなものの方が僕は印象に残る。
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今日も雨降りです。
雨は好きではないけど、部屋の中にいる時、冷えた空気が窓から流れ込んでくる感じは結構好き。
濡れることを全く気にしなくていいなら、雨の中の外出はまた違って楽しいだろうなとちょっと思う。
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by santos0113 | 2010-05-24 09:30

接点空間をさぐる-斉藤一雄

千葉大園芸学部の教授が書いた論文を集めた本。
接点空間というのは、海と陸、山と平地といったものから、庭と公道なども挙げられる。
そしてそうした空間の関係は、そんなに簡単な構造ではなく、それぞれの具体的な環境形の中で位置づけられ意味づけられている。

接点空間は、異質な空間をつなぐ空間といえる。それについて斉藤一雄はこう述べている。
空間処理の中で、最も要点となるものは異質空間間の接点処理である。なぜかというと、空間の矛盾が激しく触れ合うところは空間の境界領域であるからである。例えば家と庭の接点は壁や窓やテラスであったり、縁や沓脱石(くつぬぎいし)、たたきなどの軒内であったりである。・・・この空間処理の良否や面白さの有無が両空間の流れを、つまり人の行動的反応システムを決定する決め手のひとつとなる。したがって、矛盾のあり方を把握することがまずもって重要である。

自然と人間生活との関係、また人間同士の関係でさえ極度に分化している今日、接点空間を見直すことが必要なのではないだろうか。

空間の形態は大きく“開放”と“閉鎖”とに分けられる。つまり接点空間が開放的か閉鎖的か、ということである。
日本の庭園には大きく3つの流れがあって、
①高度に洗練されたいわゆる日本庭園
②明治以後新たに日本の風土に溶け込んだ外来の様式の庭園
③農家の庭
いわゆる日本庭園は、外部と隔絶することによって別天地としての空間を形成する傾向を持っていた。
それに対し農家の庭は生産と生活のふたつの環境を統合して、その職業の性質上、意図的に、風土、つまりまわりの自然システムと密接に関連してきた。ここでいう農家の庭は、農民の成長によって、ようやく近世以降形をなしたものである。
日本庭園は外部と隔絶しているとはいえ、客観的には周辺の環境に支えられてその命脈を保ってきたものである。それ単体では存続できないといえる。そうした庭園が環境悪化(川や海が埋め立てられる、など)によって劣化を余儀なくされ、その存立のために改めて地域環境システムとの関係を重視せざるをえなくなったとき、社会を含む周辺環境システムと一体となって発達してきた農家の庭は、その意味では先見的な立場をとることが出来る。

現代の住宅の庭は、どうだろうか。
最近各地にできつつある、外見上美しい新住宅団地の問題がある。そこでは、おしきせの住宅の外構と庭とが並んでいる例が多い。しかし、10年経過した住宅地の例では当初のおしきせの植栽デザインに対して、かこいやベランダの植栽等によって、次第に個性化の徴候があらわれつつあり、そこに皮肉にも住宅庭園の本質を発現させる契機が見える。住宅の庭は、人が自らの環境を自由にコントロールできる現在唯一といってよい場であって、本来画一的なものではありえない。

現代は、国土的、或いは国際的スケールで空間秩序の形成が進められているのであって、庭園の位置づけもそれに従って動いている。・・・しかしそこには主体の選択の自由があっても、自由に環境をコントロールして、個人の複雑な人間性の開発に応じうるものがない。・・・相互関係は、タテワリ社会といわれる様なつながり方や、ヒューマンスケールを超えた文明の展開や、文化の複雑な分化などによって、何が真の問題で、どのような相互関係で社会が動いているか、いよいよあいまいになりつつある。いわば、<自己を見失いつつある時代>という時代背景を考慮しないわけにはいかない。画一的な住宅計画は、このような没個性的な社会的性格を反映したものと思われる。

親和力の高い空間間はそれなりのやわらかな接点が可能となる。室内と庭との接点空間としてよく指摘される軒内空間のデザインは、室内と庭とをどうつなぐかにかかり、それは室内と庭との空間質から規定されると同時に、その処理の仕方によって、両空間の質が高まったり弱まったりする。


単に都市の庭、農村の庭という様に、形態機能的にわりきって、分けてしまうのではなく、その形成理念に注目すべきだ。相互に栄養を取り合って、新たな現代の庭とにわとを方向付けるべきときである。これからは、主体とその目的に応じつつ、地域環境システムの整備と密接に関連して、地域と共に生きる多様な庭園と<にわ>とを創出する、ということが現代の庭園文化の必然的な、基本的な課題だと思うものである。


農家の庭園は、自然のポテンシャルを<守りながら使い、使いながら守る>ことによって、空間文化を形成してきた。都市には見られないものであり、学ぶべきものがある。でも農家のあり方をそのまま真似すれば良いという訳ではない。それは主体とその目的に応じつつ行われなければならない。

最後に。斉藤一雄は東北の文化を調査しに行っている。
はじめ中尊寺や毛越寺の庭園を見て、圧倒された。それは京都の優美繊細なイメージとは明らかに異質のものであった。その力強いエネルギーがどこからくるものか、わからなかった。
しかし、東北の人々とのふれ合いや地域の景観の内に、何となく同質のものが感ぜられてきた。
庭園のみをいかに分析しても十分にその意味を感じ取ることができなかった。その背後に東北の自然と社会に生きる人間のいとなみ―風土の魂を深くさぐることによって理解できた。このデザインへの理解は、いかに生きるかの問題に具体的につながっていくと、そう知った。

現代の都市が何か雑然としているのは、単に見た目の問題だけだとは言えないと思う。そこには生き方が現れている。
逆に言えば、自分ちの庭についてちょっと考え直してみることは、自分の生き方を見直すことにもなるのかもしれない。マンションに住んでいた人が、庭付きの戸建て住宅に移り住んでしばらくすると考え方に明らかに変化が現れたという話を聞いたことがある。
その時、庭という空間が、他の空間との、人間との接点空間であるということを忘れないようにしたい。
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by santos0113 | 2010-04-11 22:51

UNIQLOCK

ユニクロック設置してみた。

…何かかわいいな!(*´Д`)
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by santos0113 | 2010-04-03 14:30

ラジオ

久々にラジオを聞いた。中学生以来かもしれない。
福山雅治の「あの子のパンツの色聞いてみよう」っていうコーナー。タイトルまんまで、好きな子の今はいてるパンツの色を福山雅治が代わりに聞いてくれるというあのコーナー。
大好きでした!笑
あんな事で最っ高に幸せになれる男(僕含め)ってやっぱり単純なんだろうか。

僕にとってテレビって自分が見ていない時は騒音でしかない。でもラジオって何であんなに心地好く抜けていくんだろう。対象が見るか聞くかだけの違いだけだろうか。
違う気がする。

ラジオって、ちゃんと対話の形になってる。一方的な押し付けみたいなものは感じない。何か人間らしさを感じる。何となく、だけど。
何より映像が無いっていうのは悪いことではない気がする。
想像する事を楽しめる。
テレビに、想像の余地はない気がする。

それに何よりやっぱ声がいいし。


にしても怒髪天って人いいなーこういうストレートな物言い好きだな。

ジョギングしたいけど引ったくりが多いみたいで、怖くて(自分が間違われるのが)行けない。あーやだなー。
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by santos0113 | 2010-04-02 22:57

庭園史をあるく

庭園史をあるく―日本・ヨーロッパ編

加藤 允彦 / 昭和堂


日本編とヨーロッパ編に分かれているのでとりあえず日本編から。

●東アジアの庭園
日本の庭園を知る上で東アジアの庭園は欠かせない。
1.古代中国の庭園
○周時代までの庭園
約3000年前、周王朝が成立する時代。稲作文化は山東半島を含む黄河下流域にまで広がっていた。この頃には家屋の前には庭ができ、囿や園圃に近い状態にまで進んでいたと考えられる。
水田耕作のはじまりとともに人々は身近に花の咲く草花をみることができるようになり、花を観賞する心も培われていったと考えられ、庭の植物も実用性のみでなくなった。
○秦・漢時代の庭園
広大な囿である上林苑の発生。
太液地に三神仙島を設け、金石を刻して獣の属をかたどり池中に配している。
漢代に至って苑池園林はほぼ完成したとみられる。
○三国・南北朝時代の庭園
紀元後220年曹丕が漢を滅ぼして魏を建国して以降、589年隋文帝が中国全土を統一するまでの間は中国は大いに乱れたが、日本の古代国家成立に向けての基層となる文化が成熟していった。
498年には閲代堂に芳楽苑を起して山石には皆五彩をもって塗り、池水をまたいで紫閣をたてるなど、技巧をこらし華美な趣向も目立つようになる。
366~371年のころに曲水の文化が出てくる。

2.古代朝鮮の庭園
○古代朝鮮の概要
古代朝鮮は、ツングース系・モンゴル系・東夷系の三つの異なる文化をもった民族が、中国の影響を受けながら独立し、朝鮮半島における三国時代を迎えることになる。
○百済の庭園
291年、宮室を重修し、苑池を造成。
500年、熊津城の宮の東に高さ五丈の臨流閣を建て池を穿ち奇禽を養っている。
655年、望海楼を重修。扶蘇山と錦城山を背景に広大な海のような池に臨んで建てられていたと考えられている。
○新羅の庭園
674年、「宮内に池を穿ち山を造り、草花を植え珍禽奇獣を飼養した」これが新羅の宮苑池の始まりとされる。
○渤海の庭園
高句麗の遺民を中心に渤海国が698年中国東北地方の地に建国される。
上京龍泉府の王宮の東に、庭園のある一角があることがわかっている。
「中ほどやや北寄りに池があり、池には島が二つあり、島には亭が建っていた。池の北には殿舎があり、平面は平等院に似ている」と報告されている。

●日本庭園の黎明
ちなみに僕は分からなかったんだけど、黎明=新しい時代・文化などが起ころうとする時期
1.原始時代の造園土木
○縄文時代
縄文時代においても低密度ではあっても栽培農耕があったと考えられるようになってきている。
また、建築では竪穴住居が主ではあるが、しっかりとした建築工法や大規模な建築物の存在が確認できる遺構が検出されている。
縄文時代の遺構の特徴として石材が多用されていることが挙げられる。
○弥生時代
農耕、特に稲栽培が本格的にはじめられた時代。
稲作の生産力が増大し、地域の経済力も大幅に向上。それにより多くの「クニ」にまとまって相争うようになった。
相当立派な建物が知られているが、これまでに庭園に関するような遺構は発見されていない。
しかし、水田経営に伴い水を管理する技術は発達し、木竹を使って水を堰止めたり、水路を保護する遺構などが確認されている。
○古墳時代
この時代は大きな石材を組み上げ、固い石を加工するなど進んだ技術を身近な物にしていた。
また、「クニ」の統合や政治的連合などが進み、ヤマト王権が確立し国家が成立してゆく時期になる。
この時代になると、「日本書紀」にも庭園に関連する記事が記載されるようになる。しかし中国の典籍からの引用などが目立ち、慎重な判断を要する。
宅地を区画し、蔬菜を栽培したりするような実質的な「ニハ」空間が成立し、自然観照的な美意識が確立していた段階とみることが妥当。
・池溝の開発と古墳の築造
この時代は特に「池溝の開墾は国家的事業として行われ」「古代の農事振興に重要な役割を」持っていた。
池溝の造開を行い水田経営を積極的に進めた豪族たちは、その墓所である古墳を開発した地域を望むところに造営した。こうした古墳の石室を組み上げる石組技法は、後に庭園の滝を組む技術につながるものである。

2.飛鳥時代の庭園


※『「縮み」志向の日本人』

続く
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by santos0113 | 2010-03-30 00:45

走ること 瞑想すること

上の二つは何か似通った部分があるように感じる。

最近、寝る前にちょっと目を瞑って何も考えずに集中する習慣をつけている。いわゆる瞑想かな。
瞑想というと何か修行のようなイメージを受けるけど、イメトレみたいなもの。
気付けば何かの考えにとらわれがちになるけど、そういうのを全部無視すると、確かに一瞬一瞬ではあるけど何も考えていない瞬間が確かにある。

走っている時、無理がなくいつまでも続けられるような走りの時は、「走っている」という意識が無く、むしろ「走っている」状態が普通の自分のようになっている気がする。
つまり苦しいとかキツいとかそういう感覚はなく、気付いたら無意識の内に前に進んでいた、という感じ。

自分の外面に張っていたものを取っ払って、何も構えていない状態になる感覚。
体は走っているんだけれど、中の自分は臨戦態勢でなくなる。
だから走ったり、全力でスポーツすることは気分転換になるのかもしれない。

瞑想することも、それと変わらない。
少しはまる。
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by santos0113 | 2010-03-20 22:25