水道が語る古代ローマ繁栄史

水道が語る古代ローマ繁栄史

中川 良隆 / 鹿島出版会


ローマ帝国の水道技術水準は非常に高かったというのはあまり知られていない。
476年に帝国が滅びて以降その技術水準に再び追いついたのは、1765年の産業革命以降と言われている。

国の発展のためには人口の集積が不可欠であり、そうなると給水の限界が発生する。
その給水の制約条件を打ち破ったのがローマ水道である、ということを和辻哲郎も述べていたそうだ。
ローマ帝国は国が発展するうえでの水の重要性を理解していたようだ。

しかし、筆者はローマの水道建設には疑問があるとする。
以下がその疑問6点である。

①なぜ非常に長距離の、そして11本もの水道が必要だったか。
 しかも開削水路(日本の江戸時代の水道は開削水路だった)でなく、そのすべてがなぜトンネルや水道橋だったのか。

②ローマ市は7つの丘の都市といわれ、起伏に富んだ地形である。
 動力ポンプのない時代に、どのようにシステマチックな給水をしたのか。

③古代ローマ人は知ってのとおり風呂が大好きであった。
 なぜこのような大浴場を作ったのか。そしてどのように水利用をしたのか。

④莫大なお金がかかるのに、なぜこのようなインフラ整備に力を注いだのか。

⑤使用水の処理、トイレの排せつ物の処理はどのようにしたのか。

⑥大規模な施設をどのように造ったのか、すなわち水道施設の建設技術


その答えを、筆者は歴史に沿って説明している。ここでは簡単にまとめる。

①ローマ帝国の水源信仰が一因であるといえる。
 水質の維持管理に異常なまでの努力を図り、水源の清冽な水をそのままに運ぼうと注力した。
 また川からの取水であれば、テヴェレ川の豊富な水に頼ることが出来たが、ポンプのない当時、川から取水し、丘の上まで運ぶためには大変な労力を必要とした。水を行き渡らせるためには標高の高い水源からそのまま自然流下で配水する必要があった。
 トンネルや水道橋を用いた理由も、高い標高から自然流下で配水するという目的のためである。
 水道の本数が11本にもなったのは、長く続いたローマ帝国の、人口の増加に合わせて増設した結果である。

 ちなみに日本では江戸時代においても、水を運ぶには開削水路が用いられていた。当然のことあまり水質は良くなかったようだ。


②①でも触れている通り、ポンプのない当時は自然流下に頼るしかなかった。
 水源地から送られてきた水は、浄化槽に入り、不純物が除去された。浄化された水は大量貯水のために設けられた貯水槽に入り、さらに給水槽を経由して、端末給水管に送られた。
 ローマ市内を14区画に分け、各水道から配水した。当然水道も破損するため、各区画に3本~6本の水道が供給され、断水が起きないような配慮がなされていた。



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by santos0113 | 2013-11-04 16:56 | book
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