昨日3月14日、「Love for haiti」に行ってきた。
MINMI、若旦那主催のハイチ地震被災者のためのチャリティライブだが、いまいち楽しむことが出来なかった。 なぜ?抑え気味の曲が多かったこと。これは確かにあるのかもしれない、けど大きな原因は絶対それじゃない。 ずっと違和感が解けないまま、8時間に及ぶライブを聴いていた。 周りのお客さんは楽しんでいるようだ。問題は自分にあるのかも。 けど友人もしかめ面で「何か、ちゃうねん」とひたすらに言っていた。 この違和感は何?? 暇なので、一日たった今、ちょっと考えてみる。 そもそもの違和感は、 二グループ目のアンダーグラフの時に始まった。 僕はアンダーグラフを全然知らない。 それは問題ではない、と思う。 全く知らない曲であったとしても、経験上伝わってくるものはある。(ん、何か曖昧…) 実際、そのあとのcharaのライブは素晴らしかった。 僕はcharaを全然知らない。 曲も知らなかったけれど、何か伝わってくるものがあった。(表現できない) 別に僕はアンダーグラフを否定したい訳ではない。 けど正直に言って、アンダーグラフの後、どっと疲れた。本当に。ぐったりするほどだった。 それがcharaが終わった後に元気になっている不思議。 charaにあってアンダーグラフに無かったもの。 一つは、さっきからうまく表現できない「何か伝わってくるもの」だろうか。 二つ目に、charaがハイチ地震について何も触れなかったことだ。それが意識的なのか分からないけど。 僕にはそれがとても好印象だった。 違和感の始まり、それはアンダーグラフの 「ハイチに愛を届けましょう!!」 という言葉からのように思う。 いや、正確に言うと、その言葉を何度も演奏中繰り返し言っていたことからだろうか。 そしてそれはアンダーグラフに限らず、他のほとんどのアーティストにも言えることだ。 僕が純粋に楽しめたのは、Dragon Ash、chara、infinity16だけだったように思う。 ハイチ地震被災者のためのチャリティライブだから、ハイチ地震について触れることはまぁ当然といえば当然だろう。 アーティストという影響力のある立場からそういう問題に触れる、募金を集める。いいことだ。(ただなぜハイチ地震にだけ飛びついて、他のありふれた問題に触れる人がいないのか、ということについては疑問だけど) ハイチ地震について少しでも何か感じて帰ってもらう。 でも、それと音楽とは別ではないか。 ライブという形式をとっているからには、ほとんどのお客さんは音楽を求めて集まったはずだ。 決してハイチ地震について何か知りたくて集まったわけでは、無いはず。 それなのに初めから終わりまで繰り返し繰り返し、ハイチ地震の事を、しかも同じような内容を聞かされても、僕はどうすればいいのか分からない。 音楽を純粋に楽しんじゃいけないのか?ハイチ地震を知るのはその後ではだめなのか? でも周りのお客さんは涙など流している。僕にはもう何が何だかわからない。 音楽で考えるから、分かりにくいんだろうか。 例えばこれが「ハイチ地震チャリティお笑いライブ」なら、どうだろうか。 お客さんは、お笑いを求めるだろう、そりゃ。 それなのに出てくる芸人ごとに、ハイチ地震について語られて、なお且つ漫才にまでハイチ地震を織り込まれちゃあ、もうたまったもんではないんではないだろうか。 笑えるものも笑えない。 チャリティライブをやることには、概ね賛成だ。ただ、ハイチ地震について何か伝えるというのは、またそれは別の機会にして、純粋に募金だけという形でやったほうがいい気がする。 そして別にハイチ地震に限らなくてもいいじゃない。移植手術の費用が足りない人もいる。地震が起こらなくてもご飯が食べられなくて苦しんでいる人もいっぱいいる。なぜその人たちに対しては行動を起こさないんだ? チャリティとは関係なく。 表現できなかった、「何か伝わってくるもの」とは何だろうか。 僕はずっと説明できないでいるけど、この感覚を割と信用している。 というか、何か説明できないけど感じるものっていうのを、僕は結構信用する。昨日の違和感含め。 でも説明できないことが、何かもどかしい。
by santos0113
| 2010-03-15 15:15
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