日本の風景・西欧の景観―そして造景の時代

日本の風景・西欧の景観 そして造景の時代 (講談社現代新書)

オギュスタン・ベルク / 講談社

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第1章
風景という観念は文化的アイデンティティと密接に結びついているので、文化によって様々に変化する。

あらゆる文化とあらゆる時代に共通の基本的な特徴というものがいくつか存在することも確かである。

われわれは諸文化間のコントラストを過大評価しがちであり、時としてそれらの間に単純きわまる二項対立を持ち込み、絶対的な対立物を明確なものにしようとして現実を戯画化してしまうほどでもある。…特にしばしば、それも絶対的なものとして対立させられるのは、日本庭園とフランス式庭園である。

どちらも人間の考え出した自然というものを、それなりのやり方で表現しているにすぎない。…彼らの文化に固有の自然についての概念を表現している以上、誰もが正しいのである。


第2章
人間は風景を観賞し解釈するやり方において、すなわち知覚した情報の処理法において違いを見せる。…われわれは自身の属する文化に促されて、風景を肯定的に否定的にも観賞・評価するし、またそればかりではなく、風景の側面のいくつかを知覚したり、あるいはしなかったりもする。
つまり風景は現実の事物に関する情報と、もっぱら人間の脳によって練り上げられる情報の両方で構成されているのである。

『日本の環境』『日本の風景』このふたつの言葉の間の関係は一方通行的な物ではない。事実社会は環境に対して行う整備に応じて、その環境を知覚するし、また近くに応じて環境を整備する。…日本の風土はこのような複雑さにも関わらず、ある種の一般的な傾向で特徴づけられていて、それらの傾向は環境と風景の両方に類比的に表現されている。

日本の風景の美学は多中心的と形容できる。…日本の風景は永続的な適合の状態にある。生成の状態にある風景なのである。

近代的な主体は自分自身と事物の間に根源的な区別を設け、自然に関する近代の科学の基本的な客観性を確立する。…同時にその主体は『環境』をありのままのものとして、つまり客体として発見する。


第3章
今日では日本の風景において―ということはすなわち物質的形態とそれらを知覚するやり方の双方においてということだが―西欧の影響を受けているものといないものを見分けるのがきわめて難しくなっている。

確実なのは、明治期に美的モデルが大量に導入されたことによって、日本のエリート層の知覚の図式が大きく変化したということである。…教養ある都市生活者は日本の自然に西欧の価値の浸透した視線を注ぐようになる。

文化交流の流れはけっして一方通行にとどまることはなく、ペリー提督の来航に引き続く日本の開国以前においてさえすでに逆の流れがあったことも事実である。(ジャポニズムへのきっかけ)

ジャポニズムの流行は、近代の初頭にヨーロッパで生じた風景の揺らぎということの徴候のひとつと見ることが出来る。…観察者と絵と表現される対象の間の区別が希薄になっていく。

われわれが風景を知覚するときには、つねに想像力の世界が介入してくることになる。風景という、主体と客体対象の間の関係の現実においては、主観的な物は必然的に客観的な物と合成され、主体と客体という近代の二分法が有効性を失うのである。

二元論的思考は都市や住居に具体的に適用させるのが困難なのであった。そして近代の運動とともに最終的にそれが達成されたとき、わずか数十年でその分野における弊害が明らかになり、感情的な拒否反応が現れることになる。


第4章
人間の手の加わった空間に先立って野生の空間が存在したのではなく、事実はむしろ逆なのである。野生の空間は、歴史の流れの中で生まれた。(風景的にいえば)

日本では確実に、弥生時代の稲作の導入が野生の空間(山)の知覚の在り方を根本的に変えた。事実、水田が恒久的に集約された形で存在することは、牧畜の発展があまり見られないことと相まって、耕作地と森の間に強烈なコントラストを生んだ。…おそらくこのようなコントラストの強さのために、神道において野生の空間に聖性が認められるようになったのであろう。

日本では『山』の美化は二段階で行われた。新しい方は明治期のヨーロッパの風景図式の導入の時にさかのぼる。古いほうは中国からの文学・絵画のモデルの影響を受けて、奈良時代から確立されてきた。

海岸風景の場合にも、山岳風景の発見とかなり類似したプロセスが展開された。…しかしながら高山の場合とは異なり、海岸の絵画表現は近代の習慣に先立って存在していた。…山の場合とのもうひとつの相違としてあげられるのは、日本では西欧に門戸を開いた後にも、海岸のとらえ方には根本的な変化がもたらされなかったということである。

そこには中国から学んだ美的図式を超えて日本人固有の傾向が見られるのであり、これはもちろん日本列島の自然条件と関連付けて考えなければならない。


第5章
象徴のレヴェルで田園が規定されるのは、都市を出発点としてである。田園は都市の住民によって田園として知覚され、したがって田園として存在し始めるのである。

至る所で農民は自分のいる環境について親密な知識を持っている。けれどもそれを風景として見るには、特別な知覚の図式を獲得していなければならない。そしてこの図式は都市の文化から出てきたものなのである。

客体対象の観点からも、主体の観点からも、風景に関する本質的な事実といえるのは、田舎に住む人のなかに、住居をそこに構えるという点以外ではまったくの都市生活者であるような人の数が増加しつつあるということである。


第6章
日本の都市の起源には『都』がある。…都の存在を原則的に規定するのは『宮』、すなわち宗教と政治の混淆した儀礼の行われる神道の聖域である。ところで『宮』は自然と分かちがたく結びついている。…日本では都市文明の最高度の形態が自然を指向するということである。

緑の空間の問題は日本の都市の性格に関してはとりわけ決定的な意味を持つということであり、したがってまたその問題を取り扱い際に西欧の諸都市をモデルにした処方に頼ってはならないということである。

住居と都市の間に統合作用の欠如していることは、都市においてさえ住居が自然環境を指向することにこだわり、都市という構築された環境にはむかわないという事実に由来すると考えられよう。

東京の風景の無秩序について語るとすれば、ひとつにはこれは東京では個人の家や企業のビル(ミクロコスモス)が都市(メゾコスモス)の形態に対して相対的に独立して数を増やすことが出来るからであり、また他方では江戸の町の都市としての骨組みが基本的には自然の目印(マクロコスモス)との関係で組織化されていたからである。ところがこの都市のその後の変化を見ると、このような目印の多くは次第に消されていった。


第7章
日本では、このような『都市農村混合型』の風景が現在拡大しつつあることは、すでに江戸時代にあらわれていた傾向に対する断絶を意味するものではない。

それに対してヨーロッパでは、深刻な危機が生じていて、これがしばしば『風景の死』として受け止められている。…都市のメゾコスモスが統合の原則をもとにし、全体が部分に対して優位を占める限り、ちょっとしたことでその基盤となる調和が損なわれてしまう。…ヨーロッパに都市風景を再生させるものがあるとすれば、都市のメゾコスモスの統合という基本的な原則を尊重する新たな形態の創造である。

現今の時代にあっては、新しいパラダイムは世界規模の物にしかなり得ない。それはそれとして、この新たなパラダイムは西欧の伝統とは別な文化的伝統のなかにすでに現れている非西欧的な特徴を必然的に内包することだろう。風景が問題になると、伝統的な日本文化の特徴のいくつかがこの新しいパラダイムの構想を助けてくれる。
Ⅰ.主体の中心性の弱さ。
Ⅱ.現在主義。回遊式庭園における視点の点在は、回遊(場所に中心をおいた現在)に価値を見出すのであって、目的地(キリスト教的時間性に固有の過去―現在―未来という、主体の中心性を基礎づける遠近法的時間軸における未来)に価値を置くのではない。
Ⅲ.並置。一般的な秩序の軽視が徹底されると、あらゆる限定が退けられ、偶然と混沌が重要視されるようになる。

すなわち新しい風景は、西欧で近代の風景の危機から生まれたポスト二元論と、世界が知るようになったもう一つの大きな風景の伝統つまり東アジアの伝統において前提とされる非二元論、この両者の総合から形をとることになるだろうということである。…この新しい風景を『造景』と呼ぼう。

造景の時代への移行は必ずしも風景美の時代への移行を意味しない。けれども…環境をイメージとして生きることは、必然的に美的な配慮を、すなわち美を創りだそうとする真摯な欲求を伴う。

環境を造景すること、原則としてこれは現実に粉飾を施すことではなく、芸術作品の創造なのである。…われわれの前に開ける展望は、われわれの環境が全体として少しずつ芸術作品になっていき、こうしてわれわれの文化の最も高い価値を生態学的に表現するようになるということである。


まとめる。

風景とは何ぞや、というところから入る。
・風景というのは、その人の文化によって見方が変わるものであり、風景を肯定的に否定的にも観賞・評価するし、またそればかりではなく、風景の側面のいくつかを知覚したり、あるいはしなかったりもする。つまり誰にでも同じ見え方をしていると思ったら間違いだということ。
・それでも感じるものに共通の特徴は見いだせる。それをベルクは「元風景」としている。
・しばしば日本人はフランス庭園のような様式を自然的でない、とする。その逆も然り。しかし日本人にしても、フランス人にしても、それぞれの自然をそれぞれのやり方で表現しているだけ。どちらが正しい、ではない。

そもそも風景という観念はどこから生まれたか。
・風景という観念は、ヨーロッパでは16世紀になってようやく現れる。風景を意味する言葉は古代ギリシャ語にもラテン語にも存在しない。風景という価値観が無かった。
・近代になって、主体は自分自身と事物の間に区別を設ける。「環境」をありのままのものとして、客体として発見する。つまり自分は自分、環境は環境と、完全に別個のものとして分けた。環境が完全に別のものだとすれば、誰にとっても風景は同じものだと言える。
・そこに、ジャポニズムという異質な文化が入ってくる。たとえばより鮮やかなコントラストのある色彩の使用、非対称の尊重、俯瞰的視点の採用など。それはヨーロッパの風景の見方に揺らぎを与えた。
・今までの二元論では何か違うんじゃないか、という流れがやってきた。そして「われわれが風景を知覚するときには、つねに想像力の世界が介入してくることになる。」となる。つまり主体と客体は完全な別モノではなくその二つを合成したところに風景というものがある。

では、現在のような日本と西欧の風景の違いはどう生まれたか。
そのまえに、「野性の空間」に触れておく。
・われわれは野性の空間を犠牲にして少しずつ広がってきたと考えている。→風景の観点からいえば間違い!!
・事実は逆であり、野性の空間は、歴史の流れの中で生まれた。縄文人にとって、野性の空間というものはそれ自体としては存在しなかった。ある空間が、人間によって改変された度合いの低い周囲の場所からはっきり区別され、そうした空間が整備されていくにつれ、また相関的に人間が存続のために自然の富よりも自身の労働の産物にいっそう依存するようになるに従って、生まれた。

・日本では確実に、弥生時代の稲作の導入が野性の空間(山)の知覚の在り方を根本的に変えた。耕作地と森の間に強烈なコントラストを生み、このコントラストのために神道において野性の空間に聖性が認められるようになった。「山」は日本人の環境の知覚にとって、ヨーロッパ人にとっての「森」よりもはるかに個別化の進んだものだった。
・中国から学んだ美的図式を超えて日本人固有の傾向が見られるのであり、これはもちろん日本列島の自然条件と関連付けて考えなければならない。
・日本の都市の起源には『都』がある。…都の存在を原則的に規定するのは『宮』、すなわち宗教と政治の混淆した儀礼の行われる神道の聖域である。ところで『宮』は自然と分かちがたく結びついている。…日本では都市文明の最高度の形態が自然を指向するということである。
・住居と都市の間に統合(作用)の欠如していることは、都市においてさえ住居が自然環境を指向することにこだわり、都市という構築された環境にむかわないという事実に由来すると考えられる。
・たとえば東京の風景の無秩序について語るとすれば、ひとつにはこれは東京では個人の家や企業のビル(ミクロコスモス)が都市(メゾコスモス)の形態に対して相対的に独立して数を増やすことができるからであり、…江戸の町の都市としての骨組が基本的には自然の目印(マクロコスモス)との関係で組織化されていたからである。ところがこの都市のその後の変化を見ると、このような目印の多くは次第に消されていった。

要は、稲作の普及とともにまず耕作地と自然(マクロコスモス)が分けられ、アニミズム的宗教が誕生した。その後、都市(メゾコスモス)が形成されていったが、そこには常に自然(マクロコスモス)を指向するアニミズム的文化が根底にあり、メゾコスモスとしての秩序が西欧ほど強固に発展しなかった。さらに近代になり、自然(マクロコスモス)指向という文化が薄れていったときに、残ったのは個人(ミクロコスモス)中心の空間だった。
なるべくして、今の日本が出来上がった、と言えるのかもしれない。

日本も捨てたもんじゃない。
ヨーロッパはヨーロッパである絶望的な問題を迎えていて、それは日本文化という異物によって、解消されるかもしれない。
日本文化の特徴
Ⅰ.主体の中心性の弱さ。
Ⅱ.現在主義。回遊式庭園における視点の点在は、回遊(場所に中心をおいた現在)に価値を見出すのであって、目的地(キリスト教的時間性に固有の過去―現在―未来という、主体の中心性を基礎づける遠近法的時間軸における未来)に価値を置くのではない。
Ⅲ.並置。一般的な秩序の軽視が徹底されると、あらゆる限定が退けられ、偶然と混沌が重要視されるようになる
西欧で近代の風景の危機から生まれたポスト二元論と、東アジアの伝統において前提とされる非二元論、この両者の総合から形をとることになるだろうということである。…この新しい風景を『造景』と呼んでいる。

極端に簡単にすると、
昔は風景という観念が無かった

近代、風景という観念を発見

今の「見る」だけの風景に限界が訪れる

これからはみんなが「造る」風景の時代だ!
そしてそれを造るためには日本の文化がヒントになる。

ってことで…良い…のかな??笑

まとめきれず。。。


でも分かるのは、日本の町並みが汚い、汚い、と言われ続けているけど、だからといってヨーロッパを模倣すればいいような問題ではないこと。そしてその汚い日本の町並みの奥には、ひょっとしたら可能性があるということ。可能性を追求するためには、日本のたどってきた文化をより深く知る必要があるということ。そしてそれを繰り返すのではなく、現代における姿を再考すること。
こんなことが求められているのではないかなー、と。

もっといろいろ知って、また読み返す必要がありそう。
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by santos0113 | 2010-03-08 02:15 | book
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