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ウィリアム・モリスの庭

ウィリアム・モリスの庭―デザインされた自然への愛

ジル ハミルトン / 東洋書林

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モリスの芸術作品をつらぬいて切れることの無い糸、それは原産植物相である。

「庭は、家を周囲の地域とつなげるための花の延長線として機能して、建物を『まとう』ものでなければならない。」

「庭は“へや”の連なりでなければならない、とモリスは確信したのである。その庭には、プライバシーの保てる“壁”としての生け垣、編み枝作りの垣、そして木があり、真っすぐな線をなす歩道とボーダーがしつらえられ、咲き誇る花々で装飾されている。」

「モリスは、公園に建てられたパラディオ式(16世紀のイタリアの建築家の建築様式)の邸宅を全く嫌った。なぜならそれらは、その地域との関連性や連続性が無いからである。彼は、石でも塀でも、納屋や建物であろうと、その区域の伝統からもたらされる構築物を好んだ。」

「モリスは自然な花を大切にした。そして植物に対するそのような操作(花の大きさや花弁の数を増やすために花を交配し、より目立つ八重咲きに改造するような操作)と、その結果か場開発された花―彼の言葉では『美を考えない変化、変化のための変化』の氾濫を嘆いたのである」


ウィリアム・モリスの残した数々の言葉を通して、僕が勝手に解釈しているランドスケープデザインの精神と似通う部分が多く見られる、と感じた。つまりそれは簡潔に言うと、生み出すデザインではなく、守り、生かすデザインということで、もちろんそれのみではないけれど。
「芸術の最も偉大な側面は、日常生活の芸術であり、それは歴史的な建物が示している。過去は現代の一部になっていくからである。」

モリスは生活に密着した身の回りのもの、壁紙・カーテン・家具・書籍等さまざまな物を精力的にデザインし、生活と芸術を一致させようとする姿勢が見られる。何か似ている、と思ったのが、最近知った加山又造という日本画家。この人も着物や茶道具から食器など、生活の中で使われる物のデザインを手がけていた。“用と美”という言葉が好きだ。用あってこその美だと感じるけど、用ばかりを重視しても、それはそれで寂しいのかな。ただ、実習で団塚先生が大切にしていた「普段使うものに遊び心を」ってのはもっといろんな人が持ってほしい考えだと思うし、自分も持ちたいと思う。

モリスのデザインした作品を見ていると何か日本的だなと感じた。色合いといい、形状といい、唐草模様のような印象を受ける。と、思って調べてみたら、日本趣味があるそう。どこか親近感のあるデザインだと思う。
by santos0113 | 2010-03-05 22:45 | book
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