下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

内田 樹 / 講談社

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今の子供たちは、学びの場に立たされたとき、最初の質問として、『学ぶことは何の役に立つのか』と訊いてくる
(つまり意味ないなら、やる必要はないだろ、と)
そういう考え方は確かに身近に良く感じることがあり、自分だって当てはまる。でも上の世代の人たちはそう考えてなかったといえるのかな。
そして、自分もあてはまるとは言った。でも今まで僕が生きてきた中で、やってみたら意外と面白かった、教えられた時は分からなかったものが、期間をあけて唐突に腑に落ちた、というような体験がいくつかある。僕は基本的に役に立つものをやる(役に立たないものはやりたくない)、という姿勢だけれど、世の中のほとんどのものは何かしらの役に立つ、そしてそれは自分次第と思っている。合理主義である一方、経験主義でもある、と思う。そしてそれは自分の最大の美点だと思っている。
今の子供たちと、今から30年くらい前の子供たちの間のいちばん大きな違いは何かというと、それは社会関係に入っていくときに、労働から入ったか、消費から入ったかの違いだと思います。

労働することで社会的に個人として認められるか、
消費者として金を持つことで個人として認められるか。
世の中が便利になりすぎた、と思う。子供時代に労働の機会がない。
教育の方法云々に収まる問題ではない。社会全体として、これ以上新しい便利な技術を次々に生み出すのでなく、今ある問題を見つめてしっかりフィードバックすることが大切なのではないかな。
現在の教育の問題は、単に子供たちの学力が低下しているということではありません。それが子供たちの怠惰の帰結であるのでなく、努力の成果である、ということです。

自己決定・自己実現=自立した人間=孤立した人間、と呼びならわされてきたことが、孤立した人間を多く生み出し、学ぶことを拒否させている。自己決定・自己実現のために頑張って学びから逃げている。
確かに、あえてダルそうに振る舞うこととか真面目にやらないことがカッコいい!!みたいなのはあった。それと同じかな。
時間が経過するにつれて、さまざまな経験を取り込んで、自分自身の質を向上させてゆく能力、教育の目標はそれを習得させることに尽きると僕は思っています。
すごく賛同します。

全体的に推測の域を出ない感じで、鵜呑みにするのは危険だけど、すごく面白い視点だと思った。
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by santos0113 | 2010-03-05 22:42 | book
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